まちづくりプロジェクトまちあるき 20041023
まちづくりプロジェクトでは第3回目の町歩きを実施しました。旧大日陰トンネルと勝沼堰堤を勝沼町教育委員会の室伏さんの案内であるく。役場に集合したのはメンバー4人と事務局1人と室伏さん合計6人の少数精鋭。会長さん副会長さんは所用で不参加。

○大日影トンネル
明治36年に中央線の開通に合わせて作られたトンネルで平成9年まで使われていたという。そのトンネルをまちプロのメンバーで歩いてみました。
○近藤勇古戦場
○勝沼堰堤
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勝沼ぶどう郷駅〜河川隋道
車で勝沼ぶどう郷駅まで いきなりどんどん前を行く勝沼町の文化財のことならなんでも知っているmさん あれ?トンネルは上じゃないの?
すると急勾配の川のほとりへ そこには河川隋道(ずいどう)があった。上を中央線が走っている
雨で取水口が壊れたのかお爺さんがなにやら川の中で 里を見下ろすと曰くつきの21号線のトンネルが見えた
対岸をみると山肌に竹やぶが・・不思議なことに竹やぶを切った所が崩落していた ⇒それをみてmさん
「竹をいじめれば人がいじめられる・・」
--大日影トンネル
このトンネル明治  から平成9年まで使われていた全長1400ほど
そしていよいよ日影トンネルへ。その隣は下り線そのまた隣に上り線用のトンネルが。 勝沼駅側鍵がかけられていた まずは見事なエントランスを見学。右の出っ張りは排水溝。
レンガ模様の素晴らしさに感動
さあいよいよトンネルの中へ 遠くに出口の明かりが・・歩いて30分はかかるって事務局のmさんが行っていたけど、そんなに遠くには見えなかった 入って100mの地点
退避抗を発見 データー通信が出来る電話を発見
当時は道具箱として使われていた箱を発見 単なるブラケットだけど鉄道ファンにはたまらないらしい 天井には蒸気機関車のすすが3センチほどこびりついているらしい
鬱積して張り付いた誇りが電車の風圧で波模様に
出口付近こんな水路が現れるんですが だんだん砂が堆積して 底なし水路に、見事にこの水路にはまったo村さんの名前をいただいて私がo村水路と名付けました
水が染み出している部分のレンガをハツって水みちをつくってありました
なんと湧き水。さっそく飲んでみると鉄分を含んでいて貧血に効きそう
意地悪をして閉じ込めてしまいました
よくわからないと思いますがトンネルを出たところ渓谷。かつては鉄橋があり対岸の深沢トンネルにつながっていました 対岸のトンネルのレンガがかすかに見える
もう一つの河川隧道へ
そのまま山道を・・・すると正真正銘の獣道を発見 こんなきのこも発見、食べられるんでしょうか。だれもきのこには詳しくないのでそのまま通過 下には今使用している下り線のトンネルが
mさん勝手にjrの許可なく不法侵入 線路のすぐ脇に さらに下る
藪の中を突き進み、河原に向かって下り、ここまで来いと呼んでいる すると姿を現したのは河川隋道だ
真ん中の石が正しくキーストン こんなやぶの中を歩きました
こちらが先ほど踏破した大日影トンネル そしてここが深沢トンネルの真上。このトンネルは近々ワインセラーとして活用される
古戦場周辺
旧旧甲州街道(今は畑になっている)に立つ覇道石 横から見ると彫り物が側面よりでっぱっているのがわかる。
高遠から石屋を連れてきて彫らしたという
かつてはここを曲がって橋を渡るところ。古戦場の表示もここにあったという
ここでイノシシを発見
橋に下るこの坂をころび坂とかかしお坂と呼んでいたらしい 近藤勇の本当の古戦場はもっと下
この発電所の電気は郡内に行っているという。当時国中地区は芦川(今は早川)からの発電で十分間に合っていた。いまのその名残でここで発電された電気は山を越える
勝沼堰堤
勝沼堰堤は自然の岩盤を利用した堰堤。蛇行した川をせき止めるために当時はまだ強度が実証されていなかったコンクリートを土台にその上を石積みという工法で作られている。
この時代の堰堤は全て自然の溶け込むように作られている。
上より勝沼堰堤を望む
中央にはかつて川淵にあり雨乞いをしていた石塔が移されている
自然の削られた岩盤を運ぶ道 岩盤の中央にトンネルがある。ここに浸透水を流すのがこの工法の特徴でより強度を増すという。かつてはその説が信じられていなく、他の堰堤の工事では穴を開けなかったり(芦安堰堤)空けすぎたりして強度が十分ではなかったらしい。
そしてその穴から出る水浸透水のため飲料水になるため堰堤を作る時に村人の協力を得る材料に使われたという
鮎を放流するパイプ
堰堤の上部は石張りがされている オーストリアで考案されたウオータゲート工法。堰堤の上部はため池を作らず水を走らせ下の水に力をぶつけることで堰堤自身を守る工法
祗園橋。深沢川はこの下で日川と合流 中世の甲州街道
ワインの絞りかす 一条院
大善寺頭塔群が見られた。他の宗派では坊(ぼう)とか軒(けん)とかがある
藤切り祭りを取り仕切っていた
頭塔(たっちゅう)
大善寺の修行僧が泊まっていたところ。
寺の運営などを頭塔群の協議の上で決めていた
旧旧甲州街道
甲州ぶどうの収穫も終盤 大善寺の山門
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