想いを語る 〜まちづくりプロジェクト〜

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序章

座談会 ぶどうの丘・農政部会

座談会 勝沼宿・田中銀行部会

序 章

20世紀は工業化の時代であった。
日本全国至るところに工業団地が造成され、
地方自治体は地域振興の旗じるしのもと、企業誘致にしのぎを削った。
そして今、我々は、その夢が破れた1990年代を「失われた10年」という。
何が失われたのか。国家の活力である。
そのことは、近ごろ、声高に語られるようになった「地域の再生」に通じている。
心ある人たちは、エコロジーといい、オーガニックといい、スロー・フードという。
工業化社会の実現によって、得たものの大きさより、失ったものの貴さに気付いたからだ。
再生を目指す基調は、「農」への回帰であり、
地域の活性を自然との調和の中で取り戻すことにある。
そのテーマは、観光から農産加工まで、数限りない。
近年、ワインが産地形成の期待を込めて注目されるのは、
それが付加価値のきわめて高い、永続性のある農業だと、
世界的に認められてきたことによる。
当然、山梨県もそこを目指すであろう。
日本では、この道の先達であった誇りがあるからだ。
ワインは、ブドウ畑の美しい景観から、地下蔵に眠る年代ものの逸品まで、
それにかかわる人々の志の高さを、あらゆる場面で表現する。
それがなければ、自然の恵みの深さに、見る人、飲む人が、どうして感銘するだろうか。
21世紀。
山梨のワインは、そうあってほしい。
麻井宇介
             (朝日新聞甲府支局刊 わいんWEIN VINより抜粋)





地場ブドウ 風土が育む味への希求

冬枯れのブドウ畑から西に南アルプスを望む。雪に縁取られた稜線が、山々の厳しさを伝える。

ブドウ畑は、剥き出しになった枝の剪定作業から始まる。ブドウの出来栄えが、人間のかかわりで大きく影響される最初の工程となる。ぶどうの丘の脇道の畑の中から、ブドウの守護神であるサン・ヴァン・サンの石像が微笑んでいる。 
御坂山塊と大菩薩連峰に囲まれた甲府盆地東端の勝沼町。千年の歴史を経たブドウ栽培と、国内では最も古いワイン産業で栄えてきた。

ブドウは、その土地の条件や気候によって特有の成分が育まれる。そしてワインの出来栄えは、ブドウの良し悪しに左右される。栽培や醸造にかかわる人がいて、ブドウ・ワインにその土地独特の風味が醸し出される。

ブドウの里に生まれたからには、地場のブドウに拘ったつくりに徹したい。そう強く思うのだが、高温多湿の日本でブドウを栽培するのは、乾燥して冷涼な気候の欧州に比べて不利と言われる。

遠く輝く南アルプスの残雪が消えるようになると、農作業が慌ただしさを増す。最近は、農家とワイナリー相互の理解も深まり、品質が安定したブドウの生産が可能になってきた。

健全な形でブドウの栽培面積を増やす努力が、勝沼をブドウ・ワインの産地に育てることに繋がる。

ブドウ畑と調和した、風格のある町でありたい。

高品質ブドウへの挑戦

日本は生食用ブドウの栽培技術では世界をリードし、ワインの醸造技術も後れをとっていない。しかし、ワイン用のブドウ栽培となると・・・・。
これまで、ブドウづくりからワイン醸造に取り組む姿勢が十分だったとは言えない。日本を代表してきた穏やかな甲州種ワインは、ポテンシャルさえ問われていた。 

こうした情況を乗り越えるため、日本伝統の甲州種を原料にしたワインも高品質化に向け、各ワイナリーが鎬を削っている。ブドウの収量制限や収穫地を分けての個別仕込み、果汁中の水分を除く濃縮。様々な可能性を試している。
日本で一般的な棚栽培なら、木の数は、垣根仕立てと比べて、その五十分の一もあればいい。生食用ブドウの栽培には適した方法だ。
しかし、濃厚な成分を求めるブドウの栽培には、欧州で一般的な垣根仕立てのほうが適しているのかもしれない。1本当たりに実るブドウの房数を少なくし、木への負担を減らした栽培方法だ。

高い志なくしては、ブドウ果実を充実させるという大きな目標をうち立てられない。

ブドウの実は色づき始め、甘みや香りが増す。この神秘的な営みに、ものづくりの心が突き動かされる。


殷鑑遠からず

つくりに励んだ甲斐あってか、町産ワインの国内外のワイン・コンクールでの受賞の機会が、珍しくなくなった。

麻井宇介(故浅井昭吾氏)がいう処の、日本のつくり手の「宿命的風土論」の呪縛からの開放の瞬間でもあった。 

その裏側では、一部の心ないメーカーによるブドウの産地表示を偽ったワインも出回っている。勝沼ブランドに向く、つくりの理想を遠のかせる。

消費者に対する情報発信は重要であるが、行き過ぎた売らんかな主義は、産地の価値を台無しにしている。都合の良いイメージで飾る空虚さだけでなく、情報は、その質と真贋が問われる。産地の持続性は保証されている訳でない。誤魔化しがない、真摯なつくりの姿勢に価値を認めない産地は、岐路に立たされる。


ホスピタリティ

東にある柏尾山の山肌に、巨大な鳥居の形をした炎が夜空に浮かぶ。例年、10月の第1日曜日に行われるブドウ祭りのフィナーレだ。町を挙げてブドウの収穫を祝う。

ブドウの収穫期には、秋の行楽シーズンと相まって、町を訪れる観光客が一気に増える。ブドウ園やワイナリーは工夫を凝らした商品やイベントでもてなし、週末は1日中にぎわう。

勝沼町まで足を運ぶ海外のワイン愛好家もいる。

ブドウの収穫は、1年の集大成だ。ワインの造り手にとっては喜びであり、醸造に向けた緊張感に包まれるときでもある。畑でよく熟した、しっかりした房だけを仕込む。そして、静かな熟成を時に託す。

その土地で採れたブドウに、人々がかかわり、2年、あるいは3年を経て、本格的な産地のワインが生まれる。ブドウの収穫年の特長を映したワインになってくれることを祈る。ブドウづくりに根ざし、勝沼の文化に育まれたワイン風土が形成される日を、そう遠くしてはならない。

春・萌芽

山腹にあるJR中央線勝沼ぶどう郷駅付近から見下ろすブドウ畑は、一気に広がる。

長い冬の間、眠りについていたブドウの木の節々で、堅い殻を破り、芽が膨らみ始る頃、枝の切り口からは、水が滴り落ちる。「ブドウの涙」だ。間もなく新しい枝が伸び、畑全体が緑のヴェールに覆われる。

町境にある釈迦堂博物館は、縄文時代の有孔鍔付き土器を収蔵・展示している。またたび・やまぐわ・ヤマブドウ等の木の実を採取して、その発酵用酒造器具として利用したとの新説が、町の人々に素直に受け入られるのも、遥か遠くからほのぼのと残るブドウ・ワインへの記憶が、今も一体感を持って受け継がれているからだろう。


「新緑の印象」

 渾沌の世界から統一の世界に入り、夢幻の境地から現実の明確にさめる頃に、官能の形像があらわになってくる。冬の沈黙から表現へと移った自然の姿体は、五月の新緑というものにおいて最も豊かな、至醇な自己表現となってあらわれる。それが如何なるものを告白しているのか、また如何なるものの象徴であるかは、ただ詩人や予言者の解釈に任せて、自然はその進行の刻々に表現されるものについてのみ忙しい。・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・
 私たちは「自然」という言葉のあるために、この一語の下に無造作に凡てのものを一括して、その内容に触れようとはしない。そして自然に対して真に驚異の目を開くことは、全く特殊の人々に限られてしまっている。あらゆる妥協、因襲を排して「自然に還れ」の叫びは、過去において発せられたとき、それは人性の根本に還るの意味を含んでいる以外に、自然に対して驚異の眼を開くの内的要求を必然に含んでいた。自然に対して驚異の眼を開かなくなった時は、私たちの精神が停滞して、常識に死する時である。
(岩波文庫刊 新編 山と渓谷 田部重治著 近藤信行編「新緑の印象」の章からの抜粋)


勝沼町まちづくりプロジェクトチーム会長 三沢茂計
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まちづくりプロジェクトチーム座談会
@ ぶどうの丘・農政部会

勝沼のシンボル、目指せ三つ星レストラン

■話し合った人 三沢茂計 古屋真太郎 三森斉
野沢貴彦 小俣多美子
■と き  平成16年3月10日
■ところ  勝沼町防災センター研修室


三沢 ご苦労さまです。今日は、最後の打ち上げみたいなものですが、始めさせていただきます。今日は、どんなテーマで話をしたらよいか、まず、ぶどうの丘から始めたいと思います。勝沼のイメージ、そして情報発信、ぶどうの丘というのは、役割がもう一つあって、町内に観光客をどう散らせるか、考えなければならないですね。それから市町村合併が間近にあって、ぶどうの丘っていうのは、勝沼町の財産の中でも、異質の財産ですね。このまま放っておくと、勝沼町のぶどうの丘でなくなる恐れがあります。例えば、塩山市や山梨市のワインの販売が始まると、施設のイメージは広がり、共同という意味ではいいのかもしれませんが、別の意味では、勝沼のシンボルがなくなります。このため、法人化ということも考えなければならないと思います。それから、周辺の景観ですね。ぶどう畑の荒廃の問題、後は散策路、せっかく百番観音があるのに散策路が整備されていない。インフォメーションが少なく、駅からのアクセスが車やタクシーの場合はいいが、歩いていく場合、もうちょっと歩きやすくするとか、それと、循環バスですね。これも、今はうまくいっていると思うが、もう少し駅からぶどうの丘までを素直に入っていけるようなシステムにしたらどうでしょうか。

東京にいても勝沼が好き、そんな人を育てたい

農政部会では、後継者問題ですね。これは、はっきりいってぶどう産業が成り立たないから後継者がいないわけで、そういう面では致命的な問題になりますね。こういう問題はどうするのか。それにはひとつ都市との交流を考えて、勝沼に定住する人、一時的に訪れる人も考えて、東京にいても勝沼が好きである、そういう人を育てあげるような筋をつくらなければならない。そのひとつには農業技術支援ということで農業公社という話も出ましたね。また、勝沼にゆっくり滞在してもらうにはグリンツーリズムとか、B&B(Bed and Breakfast朝食付農家民宿)は、今の民宿組合とかの枠から離れて考えなければいけない。この前、飯田市に行ったとき、感じたことは、農家がやれることなんですよね。大人のグリンツーリズムはプライバシーの問題がありますが、子供の場合はないんです。全然ないわけではないですが、受け入れる方もあまり考えないですね。そんなところがグリンツーリズムのキーワードになるんじゃないかな。

ワインは勝沼で作ったぶどうでないと

それから、勝沼のブランドですね。勝沼町産ぶどうの需給安定ですが、実際、勝沼町産で作ったぶどうでないと意味がないんですね。ただ単純に一時的なことではよくないんです。長期的に安定的にいけるか、それが原産地認証制度にも関わるんですが、何もフランスが絶対というわけではないですが、フランスなんかはひとつの畑や地区がワインの顔になっているんですね。そういう点では長期安定というのは、簡単に言いますとワインの特徴が産地で確定してきます。それが勝沼町にあると、勝沼のブランドも確立しながら、ワインも成り立つ。勝沼の原産地認証制度ですが、今一番進んでいるのは長野県ですね。長野県の場合は、農家によっては喜んだり、怒ったりしています。それはいいぶどうが高く売れる、それから悪いぶどうは売れない。長野県のメルローは26年栽培されています。これは、メルローを長野県内で産地間格差をつけて格付けをしようという思いを持っていますね。でもあまりオープンにしてしまうといけないが、方向性はあります。勝沼町も極端に言えば地域によって違うし、山梨県の中でも、勝沼は違うわけです。そこまで盛り込んだ原産地制度を考えなければならないですね。県レベルで考えて、県が考えれば、長野県も歩み寄ってくると思うんです。こんなところで私から話をさせていただきましたが、今日はみなさん好きなことを話してください。

三森 町民の視点から見て、ぶどうの丘がどのようになってほしいか、問題点とかいろいろあると思うんですけど。何かありますか。

事務局 まちづくり計画の素案が今回出ましたので、その素案に基づいて話をしていただいてもよいのかなと思います。

ぶどうの丘の法人化もおもしろい

古屋 ぶどうの丘の法人化についてですが、合併することによって、広くなって崩れてしまう恐れがあります。法人化は今後考えなければならないんでしょうか。

三沢 法人化は、合併が進んでいきますと、勝沼町の財産というのは当然、新しい市に移行するわけですよね。新市に移行すると、新市の拠点に変わっていきます。新市のための情報発信拠点となって、新市のためのサービス施設になってしまう。そうなると、場合によっては、ぶどうとかワインは薄れていってしまう可能性もありますね。観光客が抱くイメージも変わってしまう可能性があります。そのくくりがなくなりますね。ですから、ぶどうの丘が法人化となってもよいのかなと思うんです。私は勝沼の持っている財産の中で、何を最優先しなければならないのか、と考えたとき、ぶどうの丘を最優先にしますけど。それをきちんとした形で残さなければなりませんね。そういう意味で法人化もおもしろいかなと思います。

三森 逆に、法人化したとしたとしても、当然法人ですから、今よりも厳しい現実で利益を追求して、幅広い商品で経営戦略を考えていかなければならない。となると、難しいことになるのではないのかな。

三沢 新市でいい意味でぶどうの丘を集約してくれればいいんですが、勝沼のいい景観を見せようとは新市ではあまり考えないのではないかと不安に思います。おのずから、ぶどうの丘は風化していってしまう可能性があります。現状の中で価値を守ってっていけばどうかなと思います。法人化はおっしゃるとおり、経営的には難しい。法人化の場合は、美術館とかレストラン、ホテルはプロに任せるというのはどうでしょうか。一方で、今の勝沼のものを売っていくんでしたら、法人組織の中でやるのはよいと思う。法人化するのにもいくつかのパターンがあると思いますよ。ただ、法人化したからといって、今までと同じとは限りません。夜の勝沼の景色がよいのに、なぜレストランは7時半がラストオーダーなのか。もうちょっと企業的にしっかりと維持していくには、法人化という方法も必要なのかもしれません。

野沢 ほかのところの施設はどうでしょうか。

三森 大和村は財団法人ですね。牧丘や塩山、ぶどうの丘は直営ですね。

ワインの産地表示は、もっと厳しく

古屋 ぶどうの丘は、ワインの産地表示とかをもっと厳しくして、販売できるもの、できないものをはっきりアピールできる施設になればよいのかな。現状でも、表示については適切ではないものもあるのでなくしてほしい。新市になったときでも、守っていただきたい。そうしないと、勝沼ブランドが薄まる方向にいってしまわないかと不安です。

小俣 ぶどうの丘は現状、赤字なんですか。

事務局 赤字ではないですよ。町の一般会計に毎年、繰出し金を出しています。

小俣 法人化になった場合でも、成り立ちますか。

事務局 それは経営方法によると思いますが。

小俣 見せるための施設になっていないのかなと思います。周辺を歩いても、タイヤが積んであったり、ぶどう棚も栽培ができなくなって、そのままになったりしていますね。

事務局 実際、遊休農地になり、荒れ果てている畑があります。さびしいですね。

三沢 観光客にどれだけの景観を見せるのか。後背地を見てもきれいなぶどう畑が消えてしまっています。ぶどうの丘から見る景色も問われ始めました。意識的なズレ、それから行政側の考え。はっきり言えば、行政は何でもできるんですね。民間ですといろいろいう人もいますが、行政だとあまり言う人はいないんですね。

野沢 周りから見てもっとよい施設にしていくという動きは出てきています。将来的には法人化することもよいと思いますが、税金の話とかもある中で、果たして生き残れるか。法人化しない場合でも、経営を評価する人を外から入れてとか、常にどこからか監視の目が入って新しい考えや意見が入るような形にしたらよいのではないかと思います。新市になってからも、住民の意見が入っていく仕組みが必要ではないかなと思います。山梨市や塩山市、ほかの町村のワインを販売するにしても、きちんと評価する仕組みが必要だと思います。

三沢 新市になったとき、市議会議員も勝沼町からは4人出せるか出せないかという状況になります。ですから、新市になったら、新市の考えでなければならなくなると思うんですよね。

三森 うまく仕組みができればいいんですが。

新市の看板的な施設になってほしい

野沢 法人化するのはよいが、今から進めていかなければ、新市になってから急に法人化というのでは、うまくいかないと思うんですけど。

三森 法人化にしても、ぶどうの丘でワインがメインで販売されて、農産物といってもワインが中心ですよね。生のぶどうは売れなくて、新市になったとしてもぶどうの位置づけはあくまでも、インフォメーション的な情報発信の機能、そして観光客が立ち寄って、そこを基点に周遊していくという位置づけを考えなければいけないでしょう。町民の立場、勝沼町の財産だから、続いてほしい.。すべての情報がぶどうの丘に集まって、観光客の玄関口であってほしい。勝沼のぶどうを含めた、新市の看板的な施設になってほしいと思います。その位置づけが大切じゃないのかなと思います。

古屋 新市の情報発信の場にしてしまえばよいのかな。勝沼の生産地とは関係なく。

三森 当然、拠点にして、観光客の足をぶどうの丘に向けることが大事だと思います。そこからの発信になると思いますね。山梨市、塩山市、JRの立場から見ると遠くなってしまいますが、一宮が向こうの合併でよかったと思うのは、勝沼のインターチェンジを経由して一宮に入るような仕組みを取るような、とにかく1回経由させるということは、非常に大切だと思う。観光にしても物を売るにしても、PRにしても、まず立ち寄る所をぶどうの丘にするということ、位置づけが大切だと思いますよ。

野沢 どこに集客力があるのかな。

三森 観光客をメインに考えると、農業者も県も観光を推進する中で、グリーンツーリズムが出ているんだけれども、勝沼町だけでなくて、全県でやっていることですね。ここで新市になるから新市の窓口、もっと言えば山梨県の窓口ですよね。そして、ぶどうの丘を観光客の窓口にしてしまえばどうですかね。勝沼町にまず人がやって来ることを考えなければなりません。法人化を考えるよりも大切じゃないかと思います。それの方が円滑な経営ができるのかな。

野沢 法人であるとそれも難しい気がします。

三森 過程のひとつに法人化があると思うんですね。農業者の立場から言わせてもらうと、観光をやっていくには、まず来てもらうことだと思いますよ。

野沢 規模の問題があると思うんです。新市になると大きくなるわけですから、山梨市や塩山市などもそれぞれ、紹介しなければなりません。今のままでは厳しいと思いますよ。スペースとか考えると、勝沼町しか紹介できないのかな。もっと規模の大きなものを考えなければならないと思います。

三森 そうなればありがたいですね。そのような施設に向けて努力していかないと、法人化も成り立たないし、新市としての窓口にしないと、せっかくインターチェンジから5分の所にあってももったいない。山梨市や塩山市へ行くときも、何しろ経由していく。それが勝沼の利益になるんじゃないのかな。

魅力があれば合併しても大丈夫

三沢 勝沼っていうのは、ぶどうの魅力があれば、新市の魅力としても売れると思いますが、今のフルーツラインも場合によっては、塩山バイパスまでつなげればよいのかな。現状のまま、魅力がある町だったら、新市になっても大丈夫だと思いますよ。ただ、魅力づくりを我々がしていって、キャパシティーが足りなくなったとき、ぶどうの丘に造ってもいいだろうし、本来はぶどうの丘周辺に造る方がよくて、恐らくその辺は解決していくと思いますよ。問題は、現状で新市の玄関口となると、新しい市のことも考えなければなりませんね。

三森 いずれにしろ、先ほど言った問題点がありますよね。現状のぶどうの丘の問題点をいっぺんには難しいが、少しずつ改善して近づけていって、新市においても、ぶどうの丘がなくてはならないというような雰囲気づくりをしていかないと、第三セクターでも法人でもあっという間につぶれてしまう危険性があると私は思いますよ。

三沢 法人化されると、経営も合理的になってよくなるかもしれませんね。行政だからできないという範囲もありますし。

三森 利益追求の一人歩きをしてしまうかもしれませんね。

野沢 例えば原産地認証ワインみたいなものではなくて、売りやすいものを売って、それから追求していかなければなりませんよね。

三森 メーカーも努力するし、農家も努力しますよ。

事務局 今のぶどうの丘のポテンシャルって言うのは、基本的にただ売り上げを伸ばすというのであれば、いくらでもやれると思うんですよ。でも、ぶどうの丘の目的はなんなのか、しっかり定めて経営をしていくことが大切だと思いますよ。リピーターのお客さんも多いですし、団体客も多いし、好みで来てくださるお客さんもいます。コンサルタントの方を入れるのもよいと思うんですが、ぶどうの丘や観光ぶどう園、ワイナリーの実情を知っているかたの方がよいと思います。理解できるかたでないと方向性があやふやになってしまいます。

野沢 町の人たちが主体になって、よそから来た人たちと話し合って実行していくような仕組みづくりが必要ではないでしょうか。

事務局 まちづくりプロジェクトチームみたいなものが、対話の場ができればいいですよね。景観とか考える中でまちづくりができればいいですね。

三森 原産地認証制度とかは合併後はどうなるんでしょうか。

古屋 ルールをつくっても、ルールを持ってない人も混じってしまえばなおさら、薄れちゃうかな。だからなおさら、しっかりした制度をつくりたいけど、つくっても合併してしまえばそうはいかないんじゃないのかな。市になり広くなるのだから、広い範囲に切り替えないとならないんじゃないのか。理想だけが先走りしてしまい、現実に生かされない恐れもある。勝沼町の原産地表示があっても、されていないのもそこにはあるわけですね。勝沼のワインはいいねとなればいいけど、そういうものが曖昧になってしまう不安がありますね。

県レベルで原産地呼称制度を

三沢 勝沼町の原産地認証委員会は、山梨の原産地は考えていないんでしょうね。全県的な原産地認証を考えていかないと、勝沼だけでという考えはなくしたほうがよいと思います。県レベルで原産地呼称制度をつくらなければなりませんね。

古屋 勝沼町のワインが一番になるのがよいが、山梨市のワインが一番になるのもよいと思います。そこにどの地区で製造されたか表示されていることが大切だと思います。勝沼のぶどうから造られたワインであることが正しく書いてあればよいのではないかと、山梨市の人は言っています。

三森 ワインのことひとつをとってもそうですけど、私たちにとって、ぶどうの丘という施設は、あくまでも情報の発信基地であって、観光客はロケーションを楽しむ、町民の人もそれに伴なって、ぶどうの丘はこういうよいところがあるよ、ということを知らなければいけないと思いますね。

古屋 原産地制度も、ある意味では情報ではないかと思いますが。

三森 それが、大きくなってもみんなで守っていく。それが勝沼だけでなく山梨全体、日本全体に広がっていけばいいんじゃないのかな。でも、ぶどうの丘をどうしていったらよいか、ひとつの方法として、原産地制度など、わたしたちの地域から情報を発信する場であってほしいなと思います。小さなところから入っていくことによって、いろんな場ができると思う。

野沢 基本的に、ぶどうとワインの情報発信の場ということでよいのではないでしょうか。

三森 勝沼町や山梨県における情報発信の場としての中心でありたいですね。

三沢 今だって、そういう点で言うと、情報発信の中心であるということでしょう。

三森 しっかりとした位置づけが必要ではないでしょうか。

三沢 どんなステップアップをすればいいんでしょうか。

三森 問題点をひとつずつ改善していく必要がありますよね。

三沢 きちんとしていかなければならないですね。ぶどうの丘の職員は一生懸命やっていると思いますが、ただ、みんなが一生懸命でも急進性がなくなってしまってはいけないですね。

三森 基本的にぶどうの丘で売られているワインは、推奨シールが貼られているわけですよね。

三沢 白ワインは町産ぶどう80%という規定があります。みなさん甲州を使い、ルール違反はしていないと思いますよ。ただ問題は、外国のまねをした表示をしているものがあるということです。そういうものをぶどうの丘で扱うことはよくないと思いますよ。

小俣 ワインだけで言えば、双葉町に大きなワイナリーとかありますね。だけど県外から来る友だちはワインと言えば勝沼だから、勝沼のワインを買いたいから向こうには行かないと言うし、ぶどうの丘に行きたいといいます。ですから、ぶどうの丘に置いてあるワインは、中身も勝沼のワインだと自信を持って言えるようなワインを置いてもらいたいですね。

事務局 気軽にワインに親しんでもらって、ワインを好きになってもらえばいいと思うんですが。

古屋 双葉町のワイナリーはそこらへんはしっかりやっているんですよ。企画がいいのかな。お金を払った観光客が収穫したワインをしぼって、ワインにする。ツアーなんかもありますね。

三沢 そのような知恵もいいですね。

野沢 過去の恩恵を受けているから、先人のおかげで、勝沼町もここまで発展してきたと思います。勝沼の名を残すことにこだわっていかないと新市になってどうなってしまうのか不安ですね。

事務局 大泉村も清里は有名ですが、大泉村の地名度はないですね。何市になるかわかりませんが、勝沼町という名前やブランドは、地域の人たちの思いがあれば消えないでしょうね。

大切なのは消費者の信用

三森 規模が大きくならなくても、地域の人たちが守ろうとか、生活していこうと思えば勝沼の名前は残ると思うんですが、逆に守ることに固執してしまうと、おかしくなってしまうのではないでしょうか。今、何が一番大切かというと、消費者の信用ではないでしょうか。消費者は非常に敏感です。

野沢 表示問題と品質の問題があると思います。表示はきちんと合っているのか。品質はラベルを見ればある程度、予想できるとか。両方がうまくいくには、やはり原産地認証制度で、勝沼産のぶどうで作ったワイン。品質検査があって、ある一定の基準をクリアする。そのようなものが、消費者に安心を与えると思うんです。

三沢 今、業界の中では表示を守りましょう、という自主基準があって、勝沼で穫れたぶどうということをそこでチェックして原産地呼称制度としています。今やるべき段階はそこにあるんですね。変なピラミットを作るのはよくないと思いますよ。なぜよくないかというと、共通の筋をワイン会社は持っているわけです。この筋を守ったうえで、勝沼にスポットを当ててみるということです。今の推奨ワインよりもう少し高いレベルで審査をする。そんなことはすぐできると思いますね。

野沢 AOCをつくるとしたら、山梨AOCに比べ、勝沼AOCの方がレベルは高くなるはずです。高くあるべきだと思うんです。

三沢 山梨AOCができるためには、勝沼を明確にする原産地呼称制度であればいいと思うんですね。勝沼が決めなくてもいいんじゃないですか。

三森 ほかの市町村と対等ということですよね。ルールを守って、勝沼とか山梨のブランドを確立していかなければならないんじゃないかな。そうすれば、ぶどうの丘の位置づけもしっかりしてくると思うし、勝沼の名前が廃れることはないと思いますよ。

三沢 話が総論的になってきているんですけど、もっと簡単に言うと、業界の中で取り決めがあるんですよ。

三森 その取り決めをしっかり守っていただいて、消費者に安心を与え、信頼を得ることが必要ですね。

三森 農家として、勝沼のぶどうを明確にして、勝沼の名前を落とさないことが重要ですね。消費者に不信感を与えないことが、ぶどうの丘の基本じゃないでしょうか。基本がしっかりしていなかったら、ぶどうの丘もすぐに崩れてしまいます。

三沢 言っていることはわかりますが、業界の中の常識があり、取り決めもあるんですね。ぶどうの丘の販売方法も考えていかなくてはなりませんね。

三森 この場では、これからの目標とか位置づけを言っているんですから、現状に問題があるとしても、これから先、法人化とか市町村合併の問題、大きな問題を抱えている中では、ある程度、町民や農家、ワインメーカーのいろんな面を踏まえて、ぶどうの丘は公営ならば公営なりの立場があって運営していくことが必要ではないでしょうかね。小さいとかにこだわらず、新市なりの位置づけをしてもらえると思いますが。

三沢 それはちょっと他力本願的なような気がしますね。

三森 法人化して、もっと地域の立場を考えた施設になってもらえればありがたいですね。

農地を守るため、都市との交流は重要

三沢 ぶどうの丘の質をもっと上げるためには、より正確な情報を発信してもらいたいですね。農地もトラスト運動なんかで守っていける可能性は十分あると思います。それには、今いる農業者だけではやっていけないと思うので、都市との交流も重要です。勝沼のぶどう畑が現実荒廃してきている。

小俣 やはり生産者が見える形で、だれがどのような形で減農薬に努力してぶどうを栽培して、だれがワインにして売っているのか見える形にできないんでしょうか。

古屋 輸入原料を使ったワインも売っているってことですよね。

三森 農政という立場で話をさせてもらうと、農協合併で起きたことは、当然市町村合併でも起きる。農業というのは、自立していない。行政の援助に甘えているから、自立した方がよいと思う。ぶどうの丘も市町村合併をしたあと、ブランドが落ちる恐れがあります。小さいところからまとまって同じ価値観が集まって新たなブランドを築いていくことが大切ですね。

野沢 経営というのは、上に立つ経営者の考え方で、7〜8割決まってしまいます。そして上の人の一言がすべてを変えてしまう。ですから、経営者を監視していくことが重要です。

三沢 合併して新市になったときの、今の役場の産業課っていうのは、ぶどうの丘と連携が取れるんですかね。新市になると連携できず、付属施設になってしまいそうですね。

小俣 今まで守ってきた、ここだけは残したいというものを守り切れるんでしょうか。

三沢 やっぱりそれは新市の市議会議員の力でしょう。でも勝沼からだと出ても4人くらいでしょう。いずれにしてもぶどうの丘はサービスを低下させないように、職員に三つ星レストランのような接客を覚えさせて、誠実にまじめにやることが大切だと思います。

事務局 職員も、もっと勉強しなければいけないということですね。

小俣 農家の高齢化が進み、やはり後継者の問題があると思います。改革がどこまで進んでいるのかなと思います。

三森 後継者や遊休農地については、農協とか農業委員さんが中心となってやっているんですが、なかなか好条件が見つからないのが現状ですね。町内でも農家ばかりではなくなっている現状で、近隣の家を気にしながら消毒撒布や農作業をしなくてはならない時代になりました。菱山の人たちは、農協に売ることをお任せして、作ることに専念できたんですね。だから菱山のぶどうは高くなった。そしてブランド化ができて、統一性ができたんだと思うんです。自分たちで売ることができて、初めて農業になる。作るだけだったら農家なんですよ。その違いですね。

三沢 きょうはどうもありがとうございました。
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まちづくりプロジェクトチーム座談会
 A 勝沼宿・田中銀行部会
 
地域の歴史を知ることから、まちづくりが始まる

■話し合った人  広瀬敏、高安一、佐藤浩美
■と き  平成16年3月9日
■ところ  勝沼町防災センター研修室


高安 勝沼宿ってそんなに景観的にすごいのかな。

広瀬 そうだね、もうすでに景観としては消えてしまっている、といってもいいくらいになっていますね。

高安 今は宿場町として圧倒されるような雰囲気はないし、松代町みたいにお庭拝見といった様相はないですね。

広瀬 せいぜい蔵が残っているぐらいで、また仲松屋さんあたりの2〜3軒の景観ぐらいしか残っていない。

高安 昔の千本格子の会がやろうとしていた景観の再生事業だけど、ひとつは方向性を示して景観を再現していくっていう意識づくりにつながると、何かしら成果が得られるかもしれない。

広瀬 でも、ほかの町で道路の拡幅が行われたときに、建物の壁をすべて白壁にして、それなりに造り直しているが、そういった形になってしまうような、流行のようなまがい物にはしたくない。だから、人を集めるためには自分たちが誇りを持って残していきたいところは、自分たちがしっかりしないといけない。そのあたりが千本格子の会のコンセプトだったのですかね。

高安 千本格子の会は景観の再生を目的に結成されたと思う。しかし、勝沼宿の景観は生活の中で淘汰されたものだと感じる。生活の上の不便などがあって、造り直されてきたんだと思うし、個人個人の生活の葛藤の中で景観が変化してきたと思う。それを形だけ残すというのは少し乱暴かもしれない。

時間と空間の軸が交差する心のよりどころ

佐藤 だけど先進地(宿場町のまちづくり)に比べれば確かに勝沼宿は劣るけど、勝沼のいわば点だと思う。しかし点なんですが、現在残っているものがなくなっていくとするならば、勝沼宿は名前だけ歴史だけになってしまう。そこに田中銀行や仲松屋さんがあることによって、例えば本陣だとか脇本陣だとか、そういった自分たちが暮らしている地域の時間の軸と空間の軸が交差する、観光というよりは私たち自身この町が他の町とは違うよりどころというのか、誇り。景観だけではなくて景観と歴史と生活という、よりどころ、誇りのあるべき場所、シンボルのようなものとしてありたい。例えば、暮らしの快適さ、もっと便利にという観点ならば、今の仲松屋さんや田中銀行は存続しなかったと思し、所有者は維持してきたのだから、たいへんだったと思う。だからといってなくなってしまっては、私たちの心のよりどころがなくなくなり、さびしいことだと思う。

広瀬 やはり住む人の、佐藤さんが言ったような誇りだと感じますね、その勝沼宿の元々の本町に住んでいる、自分たちの地域に誇りを持って暮らしている。その誇りと経済的で便利な生活ができる家との若干のギャップといったものを、少し時計を逆回しした不便さがあっても、一つのまちの景観として、この町のベースという誇りをもっていれば、ハカリにかけたときに、その誇りの方が重ければ景観というものが維持できると思いますね。

高安 ぶどうの丘もシンボルだけど、心のよりどころとは少し違う気がしますね。

佐藤 観光スポットの色合いが強いのかな。

高安 今のように軽く考えるとぶどうの丘はシンボルにはならないかも。でも勝沼宿は、勝沼にはこんな良いところがあるんだというイメージでみんなが温かく残したり、町が事業を起こすときも、ここだけは手厚い保護をほどこしても、みんなが認めるといった、町民の心のよりどころと考えたいね。そういった気持ちで、それぞれの点や軸に結び付けていけばいいんじゃないかな、宮光園なんかもそうじゃないかな。そういった町民の心のよりどころみたいな地域は、時代ではなく世代を超えて復元に近づけたいですね。やっぱり今の勝沼人が残さなきゃいけないと思う。

広瀬 やはり地域に対して誇りを持てるっていうのは、歴史の深みっていうのが一番ではないかな。

佐藤 私は結婚して勝沼に嫁いできたから、しばらくは勝沼って景観がいいなって軽く感じてたくらいなんだけど、勝沼宿の田中銀行や仲松屋さんを知ってから、その瞬間から勝沼という町がすごく好きになったんですよ。それまでは、自分の実家あたりに比べると坂も多いし、一面ぶどう畑だし、買い物をするにも不便で、あんまり好きではなかったけれど、この勝沼宿の歴史を知って、自分が理解して本物を知ったときにものすごく魅力を感じて好きになったんですよ。

歴史に裏打ちされたまちづくりを

広瀬 そうですよね。例えば小布施のように人を引きつける魅力っていうのは、単につくられた町ではなくて、そこに歴史があり、歴史に裏打ちされたまちづくりを再生してきたというか、守ってきたというか、そういった歴史の裏付けがあって、初めて人をひきつける魅力が出てくると思いますね。

高安 やっぱり景観だとか歴史だとか、心のよりどころだとかの第一条件は、外の人も認める、また地域の人が認めるものでなければだめだと思いますね。やはり住んでいる人が認めるものじゃなきゃだめですね。誇りとして思う方向にもっていかなきゃならないし、そう思うことが大事。今、田中銀行に携わってボランティア活動を行なっている人たちをみると、やっぱりこれがあるべき姿なんだなって感じるし、以前、仲松屋さんで座談会を行なったときにも、そのボランティアの人たちがうれしそうに話をしてくれた、あの顔が忘れられない。こうなれば本当に上手に地域づくりができるのになって思いましたね。

佐藤 そうですね。知れば知るほど大事にしていこうという気持ちが生まれてきますね。あの年代の人たちはそういった気持ちを持っているんだけど、私たちくらいの下の世代が、ここはいい所だと、歴史の深み、誇りを理解できれば、町全体にそういった雰囲気の深みが出てくると思うけど。

高安 そんなに大きくはない宿場町なんだけれど、昔はここでぶどうを売っていたり、地域産業の軸だったという地域だから、何かをテーマにして、すべて集約して利用したいですね。ワイナリーやぶどう園が協力しながらお互いに利用していった方がいいですね。それがひとつコースになったりすればいいと思う。たとえば田中銀行でもワインが飲めたり、常にお互いがリンクする、関係を持つことが相互によいものが生まれてくるんじゃないかな。点と点であってもつながってくるのでないかな。ぶどう祭りなんかで、昔の宿場まちの風景を再現するのもおもしろい。ぶどうを籠で売ったりして・・・。

佐藤 昭和20年くらいの風景の復活かな。

広瀬 その風景は私も微妙に覚えている。昭和30年代にはまだ残っていたからね。40年代くらいから変わってきたのかな。

事務局 でも宮光園のあたりは、まだ40年代にはぶどう畑が残っていたような気がしますね。その頃はまだ勝沼宿も商店街が今より活気があった気がするけど、駄菓子屋もあったりして。

広瀬 その頃はまだ、勝沼宿が買い物の中心で、そこに行くことしかなかったからね。

佐藤 映画館なんかもあったって聞きましたけど。

事務局 私も聞きましたよ。昔は勝沼の人だけでなく東山梨のメイン通りだったって聞いたことがありますね。

佐藤 飲食店なんかも軒を並べていたと聞いていますよ。

事務局 塩山より勝沼、なんてことを聞いたこともあります。

高安 でも今からまた、そんな感じで栄えることは想像はできないけど、どうでしょか、ここは観光用のスポットとして、ゾロゾロ歩くような所なんですかね。

広瀬 観光を焦点にして、景観だとかまちづくりを無理やり行なうのではなくて、自分たちが将来に向けて自分たちの誇りを子供たちに伝えていく、そんな自分たちの認識がきちんとつくれて、そうすると自然に景観は一人ひとりのアクションで残っていくのではないかな。たしかに短期的には難しいけれど、そんな方向性を地域の人々が、商店街の気持ちが一つになったときに、いろいろな生活の営みが景観に結びついてきて、ひとつの統一された町ができあがるような気がする。それに魅力を感じて観光客が集まってくるんじゃないかな。そういったやり方が本物なんじゃないかと思いますね。

事務局 そうですね。よいと思って建設しても、実際町に溶け込めずにミスマッチになっている観光地なんかはよくありますね。

広瀬 小布施に魅力があるのは、無理やり観光向けに造ったものではないといったところだと思いますね。

事務局 いろいろなまちづくりを見てみると、その地域の歴史に根ざしているもの、地域にあった素材を使ってつくっている気がする。それも長い年月をかけて行なっている気がするんです。例えば湯布院なんかも、行ってみても何もないのに、雰囲気なんかは抜群にいいんですね。町並みの空間作りがすごく上手だった記憶があるんです。ほかの温泉町とは異なって、本当に俗っぽくないですね。

広瀬 観光客に向けて何かをやるとか、取り戻すとかではなくて、自分たちに元々あった魅力をもしかしたら忘れているのではないかな。それを見直すというか、もう一度発見し直す、当然地域の住民の方たちですけど。それに対して網をかけてこうしろだとか何かしろだとか、こんなまちをつくろうだとかではなく、そこに住んでいる人たちが、もう一度気づき直すのが第一歩なんじゃないかと思う。そうして自分たちがこのようにやろうとか、こうしようとかということを、べつに観光客に向けてとかいう視点ではなくて、自分たちが子供たちに誇りを伝えていこうという認識を取り戻したときに、長い年月をかけて観光客にとっても魅力的なまちができると思うんです。

事務局 人工的に住みやすくしたり、道路を整備して逆にさびれていった、なんていう話も聞いたことがありますし、あまり観光にとらわれるのもどうかと思ってしまいますね。

勝沼の歴史が詰まった小さな本を作りたい

高安 どうでしょう、勝沼宿に関する文献ではないですが、例えば勝沼の歴史や薀蓄(うんちく)が詰まった小さな本なんかを作ってみるのもおもしろいんじゃないかな。知れば知るほど好きになる良さがわかって大事にしなきゃならないことがわかってくるし、子供たちも総合的な学習なんかでこういったことをやっていると思うけど、最初からスタートしてちょっと話を聞いてまとまったら、卒業したらそれはどこかにいってしまうのではなく、子供たちが新しい発見をしたら、それに加えていくようなひとつの勝沼宿という点に対して何かを起こしていく、それを見ればいろんなことがわかる。そんなふうになってほしいし、そうであってほしいですね。もし、まちづくりプロジェクトチームで何か残すのなら、個人的にはそういったものを一個一個つくっていきたい。図書館であったり、勝沼宿であったりそれを一元化して、点を一個で囲むその手法がまちづくりプロジェクトチームでできればいいなと思っているんです。

広瀬 例えば小佐手なんかも歴史があったその昔、小佐手氏という豪族がいて、小佐手氏の館が現在の保育園のあたりにあったんですよ。ぶどうの丘の下に東林院というお寺がありますが、それもすごく歴史があるお寺なんですよ。当時は周りにはお寺がたくさんあって、大伽藍なんかもあったという歴史がある。そういったことも小佐手の子供たちが勉強しなければ誰も知らない、そのように地域には地域のお宝や資料があるんですよ。今言ったような地域ごとの小さな冊子なんかがあると、散歩したりするときも上町や寺町などを歩くきっかけにもなります。新たに勉強する機会にもなるし、地域の誇りを知る良いきっかけになるんじゃないかな。本当にいいことだと思いますけど。

高安 僕は先日の町歩きのときに遊歩道に看板を作ろうなんて提案したのですが、本当にしたいことは、そういった実践活動なんです。いろんな人がいろんな角度から勝沼を見て、勝沼に対していろいろな思いや発言もいろいろな場所で発表しているけど、そろそろすべてをまとめる時期にきていると思いますね。そうでなければ、合併問題も控えている中で、今は行政もバックアップが十分にできるけど、なかなかやりずらくなるんじゃないかな。今こそ、そういった活動ができないかなって感じているんですね。そうすれば、田中銀行、勝沼宿も目標が鮮明に見えてくると思うんです。

広瀬 そうだね、今ならまだ、昔の地域をよく知っている人もいますね。そうそう、勝沼宿や田中銀行のことを話してくれる人たちがいますね。自分が生まれる前のエピソードや文献のありかなんか、それが世代が変わると、もうすぐにわからなくなちゃうんですね。

高安 そうでしょう。何かそういうものが消えていってる気がするんですよ。今までも勝沼を変えようと、まちづくりを掘り起こしたりしているんだけど、その場でただ漠然と話が出るだけで終わっているんですよ。

広瀬 そうですね。たとえば地域のお祭りなんかは歴史に由来があって、今もつないでいるんですよ。御守役なんかが地域の中で回ったりしてるけど、その地域を知らないで地域に入って来る人たちは、負担にしか感じてもらえないのが現実なんですね。でも、そんな人たちも根気よく地域の祭りを存続させれば理解してくれたり、気づいてくれるかもしれない。それを理解したり、気づいてもらえないときは、だんだん消えてしまうね。だから合併が目の前に迫ってきている今は、余計にそういうことが大事だと思うし、きめ細かく地域を洗い出したり、調べたりするのは今かもしれなですね。

高安 やりましょうよ。今地域に生きている歴史や人物に聞きながら。小冊子を作りましょうよ。

広瀬 そうだね。それを作ればマスタープランの遊歩道に対しても生きてきますね。

佐藤 そうですね。それを持ちながら遊歩道を歩く。

高安 例えば、木で作ったポストみたいなものの中に冊子を置いて観光客に利用してもらったりして。

事務局 それができればすばらしいですね。宮光園なんかは日本のワインの発祥地なのに、特に整備らしい整備はしていない。本来ならば宮光園は聖地のように扱われなければいけないと感じているんですが。

広瀬 ある程度の年配の人たちは、宮光園の価値もわかっているんだけど、子供たちや新しい住民の人たちには、周知ができていないんですね。そういう僕もつい最近龍憲セラーに行ったんだけど、少し地区が離れると、意外に町民のかたは、何が有名で歴史とかそこに何があるっていう情報を知らないことが多いですね。知っている町民の方が数少ないと思うんです。だから、やっぱり簡単でもいいから冊子は必要ですね。そうすることによって地域でのまちづくりのきっかけになるような気がしますね。

高安 何か、はっきりその場所にあることがわかれば、一番強いまちづくりのきっかけづくりになるね。外からも内からも本当にいいきっかけだと思いますね。

広瀬 誰もここを理解しないで行政が手を入れても、またムダなことになってしまうからね。

高安 純粋に今言ったことは、やっぱり行動しなきゃだめですね。それをすることで地域のきっかけができる。まちづくりプロジェクトできっかけをつくっていきたいですね。少しずつ地域の人たちに理解してもらって、一つずつ形にしていきたい。まず、価値を知ってもらうことから始めていきたいですね。

広瀬 地域を良く知っている人たちも、一緒に引き込んで作ってみたいですね。

高安 スッテプアップとして冊子を作りたい。まちづくりのための。


町の良い所を知らない親が増えている

佐藤 話は変わっちゃうかもしれないけど、今の子供たちの親はほとんど勝沼の事を知らない。違う町からお嫁に来た人たちが多いんですね。だから母親が町の良い所を知らないことが多いんですね。そういう人たちは日々の生活に追われて、勝沼を知る機会がないのが現実なんですよ。でもその人たちに勝沼を知っていただければ、子供に勝沼のいいところ話すことができて、いいきっかけができるんじゃないかな。だから、冊子があれば町を歩く企画や川に親しんだり、歴史を知るイベントなんかまちづくりプロジェクトで企画できるんじゃないかなって思うんですけど。

高安 あとひとつ、勝沼の景観の美観ってどう思います。

佐藤 電柱、看板だとか鉄骨が組んであるものかな。

広瀬 でもあれは生活上の景観だから否定することはできない。

佐藤 当然、否定することはできないけど、色彩を工夫することはできるでしょうか。町の補助だとかはできないのかな。そうでなければ、やっぱり意識してもらう以外ないのでしょうか。

広瀬 補助って話になると厳しいかもしれないけど、色彩を変えていくっていうのは可能なことですね。

高安 あの鉄鋼のアーチはすごい。何トンもあると思いますよ。

事務局 みんなは看板に対してはどう思いますか。ほかの町に行ったとき、煩雑になっている看板は、観光客になった気持ちで見たときどう思うでしょうか。例えば海外に行ったときなんか。

高安 昔のことだけど、勝沼宿付近にあった大きな看板がその何年後かに目立たなくしてあったけど、基本的には僕は看板みたいなものは許せますね。自分も看板を出したりしているし、やっぱり目立たなくすることがいいことなのかな。

事務局 住んでいる人たちがどう考えるかが問題なんだけど、観光客の視点ではどうなんでしょうか。結局すっきりしてなくて、余計な看板が多い気がするんですね。そうなると今どこまでできるかって話にもなるんだけど、見て感じいいとか、心地よいだとか、その美観が観光地のひとつの目安になるんですけどね。行ってみたい魅力のある観光地では、やっぱり景観が秩序よく保たれているんですね。

広瀬 結果的に一つひとつの看板を目立たせて、看板で引き込むのではなくて、地域がひとつ魅力があってその地域にみんなが集まってくる、という形ができれば、一つひとつの看板が競争原理にさらされない。地域がひとつになるっていう状況ができれば、自然に人が集まってくる。そういう状況が望ましいですね。でも、それはそこに住んでいる人の意識の問題でもあると思いますけど。

佐藤 でもそれってすごく難しい事ですね。勝沼宿だってぶどう園が建ち並んで生活のために看板を立てて集客しなければ、生活ができないのも事実なんだし、実際看板がないと観光客に目印もないのだから立ち寄ってもらえないと思うけど。

勝沼宿を景観保全の重点地区に

広瀬 そうですね。だけどなんとかしたいですね。どうかな、ひとつ田中銀行から仲松屋さんあたりの勝沼宿を、景観保全の重点地区みたいなものにして、理想の通り考えてみては。当然、その地域のみんなのコンセンサスを得てからなんだけど。みんなの理解が得られて、その地域がみんなの集まるような地域になれば、そこを手本として、どんどん地域を広げていけばいいじゃないのかな。そこが成功すれば黙っていてもほかの地域でも意識が高まり、よい方向に進んでいくんじゃないのかな。

高安 そうですね。今度は地域の人たちにも入ってもらって看板やそのほかについても話をしてみたいですね。

佐藤 勝沼宿の街道でも2〜3のお店では、木材を使ったオブジェがあるけど、みんなが感じいいって思っているし、相乗効果が生まれればいいなって思っているんですけど。また、若い人の間でもそれがオシャレというか、町並みに変化を出すというか、そんな意識が生まれてきているんですね。

高安 そうですね。色彩を変えるだけでもかなり違いますね。でも本当にその地域に生きる人たちが生活の糧になるものの大きな変革に対して、自分で自信がないと、地域の方たちとのコンセンサスはまず得られないと思う。でもそのためにも成功例をつくらなきゃならないと思うし、見せていかなきゃならないと思うんです。でも外国は商業地帯とか工業地帯の看板はすごく突出しているけど、あれは、本当にすごい物ですよ。でも外国の田舎町に行くと大きな看板や派手な色使いの看板はないですね。というよりも自然と住民が色使いや派手さもセーブするんですね。

佐藤 でも最近ではファション界でも白黒のモノトーンなんかが流行して、看板についても高度成長期時代に氾濫した大きくて派手な看板の価値観からだんだん変わりつつあるわけだから、そうなれば受け入れやすい要素はあると思うんですけど。

広瀬 おしゃれな看板を作った人はコンテストなんかで表彰したらおもしろいかも。

看板のコンテストもおもしろい

佐藤 それはいい考えですね。そのほかにも町の看板やいいところコンテストや景観コンテスト、それからまちの働いている人たちの顔コンテストだとか、そんなフォトコンテストなんかやったらどうかな。ただ展示するのではなくて、大げさな商品も作らなくて、若い人に向けて行なったら楽しいですね。

高安 看板についてはベストコンテストもいいけど、ワーストコンテストなんかもやったらどうでしょうか。

事務局 海外ではショウーウィンドーコンテストなんかもあるようですね。今年一番美しかったお店がノミネートされるんです。

高安 ぶどう祭りでぜひやってほしいですね。というよりやるべきですね。あとは、勝沼のその年のツッチー(土屋氏)とタッチー(高野氏)を選んだりして、1年間は選ばれた人はそう呼ばれるようにするなんておもしろいですね。このまちのあるべき姿に向かって一生懸命努力している人に対して表彰をして、みんなで誇りとか思いをもって、しっかりやるべきだと思いますね。まだまだやることはたくさんあるけど、勝沼らしい暮らしってなんでしょうね。僕自身、自分のこと、勝沼人なのかなって思うことがあるけど。

広瀬 名物みたいな人物はいるけど。高齢者の中には、特に多いですね。

高安 そういう人が勝沼人っていうのかな。この地に住んで、この地で生活している。本当に自分を持っている人がやっぱり勝沼人なんだろうね。

広瀬 そうですね。将来は僕もそういうお年寄りになりたいですね。

事務局 勝沼人でわかりやすいなら、ぶどうの耕作文化に携わっている人たち、ぶどうに対して愛情を持っている人たち、ぶどう作りのプロフェショナル、またそのほかにも地域の達人というのかな、そうなれば農家じゃない人も勝沼人だと思いますね。

町歩きで新しい勝沼の発見を

高安 でも、この前町の中を歩いたときは楽しかったですね。まちの歴史だとかスポットなんかを歩いて回って、みんな忙しい毎日だから、都合もあってなかなか集まれないんだけど。でもまちづくりプロジェクトで冊子を作ったり、町内を散策して新しい勝沼を発見したりするのもいいんじゃないかな。町の話でも出てたじゃないですか、合併市になったら町の文化財なんかを大きなくくりで行っていこうっていう話が。

事務局 整備のやり方はよく考えなければ、逆に壊してしまうこともありますからね。先日、町歩きのとき感じたんですけど、ぶどう畑が伐採されていたり、耕作がされていない畑、そのほかにも開発で景観が悪化している場所がありましたね。

高安 そうですね。千葉県鴨川で米づくりオーナー制度を行なっている自治体の話を聞いたけど、すごく僕自身感銘を受けているんですよ。千枚田のことなんだけど、保存の意識が高くって、毎年そこには近県からオーナーが集まって耕作している。たぶん農業を行なう労力が不足している、そこで出た事業だと思うんだけど、でもそれで産業や景観が維持できればいいことだと思うんですね。

佐藤 でも、ぶどう作りと米作りはまったく別物ですよ。やっぱりぶどう作りは手間もかなりかかるし、勾配がきつい斜面で耕作をするなんてことは、米作りにはありませんからね。だから、都会の人が来て、週末農家っていうことは簡単にはできない代物だと思いますけどね。

高安 いや、だから生業を正すのではなく、保存なんですよ。保存を考えていく必要があるんじゃないかな。そしておいしいワインにうまくからめられれば、1区画だけだっていいと思うんですよ。

佐藤 でも誰が栽培し、管理するのは誰か。やっぱりそこが問題ですよ。

高安 保存なんだから、まちづくりプロジェクトチームでかな。

事務局 ぶどうの丘の西斜面だけでも、なんかどうにかならないでしょうか。

広瀬 理想ではみんなそう思うけど、あの急斜面かなり厳しいですね。でも今のままだと、安全性からみても景観上からみても改善した方がいいですね。

高安 だけど、この前歩いたとき、みんなで見たとおり、あの草や木々が地盤を強固にしているんですよ。

広瀬 そうですね。でも元々はぶどうの丘は山だったんですね。それを開墾してぶどう畑にしたんだから、無理があったのは事実ですね。でもそれも経済活動の中で作り上げられた景観だから、今は元に戻ったっていうのが正解かも。

佐藤 じゃあ、そこは元の松林に戻るのがいいのかな。でもぶどうの丘っていうものがあるから、やっぱりぶどう畑が理想ですね。

広瀬 だからもう少しぶどう栽培がやりやすい勾配をつくるのが理想ですよね。小さく区切って段々畑にして、擁壁をぶどう棚に合わせて目立たないよう造る。またその中に遊歩道を造るような整備計画があの山には必要ですね。今のままではぶどうを作れといってもかなり無理がありますね。

高安 もう一度宮光園の都市との交流事業について聞きたいんですが。

事務局 都市との交流事業で活性化したいっていうことですけど、結局、宮光園とか歴史的遺産っていうものは、ただ保全や文化財保存とかではなくて、その地域で資源を活かさなければ経済効果にはつながらない。活かしていけば歴史や文化財が生きてくるといった意味があるんですね。だから保存だけじゃなくて、昔の暮らしなんかを実際に再現したりする、一つのテーマパークを考えることがいい。それも行政だけで考えるのではなくて住民との協働で考えたいですね。

広瀬 そうですね。住民との協働で考えなきゃね。できあがったから運営は、はいどうぞじゃだめですね。

高安 いいですね。楽しいですね。

事務局 素材としてワインがあって、それも本当のワイン発祥地でもありますし。

事務局 まあ、ふだん生活している人には直接には結びつかないけれども、しかし、誇りを持てる日本一のワイン、ぶどうの産地でもあり、心のよりどころになるんじゃないかな。

高安 そういう考え方をしなきゃもったないですね。

広瀬 今まで話したものをまとめていけば、次のステップにもつながるし、いいことじゃないのかな。例えば次へいくなら実際行動でやってみたいですね。合併してからも目に見えるものになるし、そうすれば地域を大事にしたりする話が出てくると思いますね。

高安 そうですね。これだと勝沼だけになっってしまうから、全体で見るようにしなくてはね。

地域をはっきり認識すること

広瀬 地域住民はやっぱり、自分たちの地域をはっきり認識することが大事ですよね。境界だとか旧市町村でなく、もっと昔の枠組みで考えた地域で、住民が地域を見直すことで地域自治が実を結ぶんじゃないかな。

高安 豆本は作りましょう。田草川はすぐにできますよ。

広瀬 大善寺や鳥居平、それがそもそものぶどうのルーツみたいな。

佐藤 宮光園物語なんかも。

高安 大善寺があったり、宮光園があったり、ぶどう祭りがあったり、いろいろな冊子があると、それが勝沼だってものがあれば。

広瀬 合併したのちは、旧町村単位で地域自治を行政側でつくろうとするのではなくて、地域の中から自分たちの地域をつくろうという気運をつくったのが、今回のまちづくりプロジェクトの成果だと思うし、これからは仕掛けを考えるためのまちづくりプロジェクトがほしいですね。地域のお年寄りにお願いしたりして、知恵を借りたいという気持ちが大事ですね。そうすればお年よりも喜ぶし、若い人たちも一緒になって、合併しても地域の中で話し合いが生まれる。それが一つのまちづくりのきっかけですね。

高安 こう考えると、やっぱりまちづくりはこれからも必要ですね。行政も重きをおいて考えてほしいですね。次は、まちづくりの仕掛けをつくることに力を注ぎたいですね。

佐藤 合併しても、大きくは私たちも変わらないけど、私たちはまちづくりプロジェクトチームとしてやってきた、本当に小さい芽なんですけど、一般住民が行政にお任せでなく、自分たちがやっていこうという気持ちが生まれたのは事実で、そのことがすごい財産じゃないかなって思いますね。

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