かつぬま朝市(山梨県勝沼町)
朝日輝くぶどうの里にはぬくてぇ心が豊かに実る


コラムの逆取材で登場しているフリーライター山田孝文さんのかつぬま朝市をレポートした記事です。山田さんは農村の現状を自分の足で歩いて私達に農の素晴らしさを伝えてくれています。
この取材をきっかけに私、すっかり山田さんと打ち解けています。たかが1日の取材で私達の気持ちをここまで表現していただけたことに感謝です。


そして実は、とある大学の先生までこの山田さんのかつぬま朝市記事を引用して「直売活動のありかた」まで論文化する始末。山田さんすげーや。
戻る

開催日時:毎月第一日曜日(1月はお休み)
     9時〜正午頃まで
場  所:山梨県東山梨郡勝沼町
 (四季の里前サンセイフルーツさん隣り)⇒
当時はここでやってた
※詳細はHP・メールにてご確認ください。
ホームページ:http://haj.web.infoseek.co.jp/


 国内随一のぶどう生産地、またワインの醸造地としてあまりにも有名な山梨県勝沼町。実はこの土地に、もうひとつ新たな名所が生まれつつあるのをご存知だろうか。昨年四月「ここ勝沼にしかないものを!」を合言葉にスタートした、その名も"かつぬま朝市"である。毎月はじめの日曜日、そこは楽しむことが大好きな人びとの大きな笑い声に包まれる。



ぬかるみを駆け回る男

 早朝八時。JR勝沼ぶどう郷駅のホームに降り立つと、紅色に染まる山々にぐるりと囲まれた静かな町並みが、朝日に映えて眼下に大きく広がった。空は、寝不足の目に痛いほど青いが、明け方まで降り続いた雨のせいで風は穏やかに湿っている。
「おはようございま〜す」

 駅前にはトヨタの若きディーラーマン、天野さんがピカピカの新車で出迎えに来てくれていた。私もずいぶん偉くなったもんである。ほほぉ、この車なかなか快適な乗り心地ですなぁ。よし気に入った! さっそく商談を……じゃない。今回は「かつぬま朝市」の取材に来たのであった。とは言うものの実はこの車、れっきとした朝市での売りモノだってんだからちょいと驚く。

「これから朝市のある日は、こんな風に試乗車で町内を巡ってお客さんを送迎しようかな〜、なんて考えてるんですよ」
 天野さんのそんな妙案に頷きつつ車窓の外に目をやると、ぶどうや桃の木が連なる町のあちこちに、今日の朝市開催を告げるのぼりが賑々しくはためいている。

 ほどなく到着した会場では、九時の開店に備え誰もが慌ただしく手を動かしていた。中には、すでに買い物袋を膨らませた気の早いお客さんもいる。ただ残念なのはあいにくの雨上がり。砂利混じりの足元は相当ぬかるんでおり、みんな歩くのに難儀しているようだ。と思ったらそこに一人、拡声器片手に水たまりをヒョイヒョイ飛び越えて駆け回る男性がいた。
「あっ、山田さん? どうもどうも、よくいらっしゃいました!」

 長靴の似合うその人こそ、かつぬま朝市代表、高安一さん(41)である。

ズラリ並んだ加工食品はほとんどが試食OK。寝坊した日曜の朝にはちょっとイイ腹ごなしにもなる!?



師走とは思えぬ暑さの中で

 普段着のまま歩いてくる子供連れのご近所さん、多摩や浜松など他県ナンバーの車で乗りつける観光客。"市"が開けると、どこからともなく人が集まりだした。が、
「やっぱり雨のせいか、ちょっと出足が鈍いですね。出店キャンセルしちゃったとこも何軒かあるし…」
 と高安さんはやや不安そう。でも、その表情はすぐに笑顔を取り戻し、

「まぁでも、だいたいこんな感じですよ、いつも」
 彼はそう言うと、またどこかへ走り去っていった。
 通常より少ないとは言うものの、会場には二十軒近くのさまざまな露店がズラリと並んでいる。とりあえず私は片っ端から覗いてみることに……しようかと思ったが、朝メシをまだ食っていなかったせいか、足が勝手に食品を扱うブースの方へ動いてしまった。試食目当てである。

「おひとつどうぞ」
 エプロン姿の優しそうなご婦人がまず差し出してくれたのは、自家製味噌を添えた手作りのこんにゃくだ。さっそくそれを口に運ぼうとすると、そのご婦人
「ちょっと待って!」
 と慌てて姿を消したかと思いきや、両手に赤い液体の入ったコップを持って小走りで戻ってきた。
「ホントは白が合うんだけどね〜。まぁいいや。ささ、どうぞ」
 赤? 白? 私にはな〜んのコトだかさっぱりわかりませんって……プハ〜ッ、やっぱり朝から飲む酒は旨いやぁね!チュルンと柔らかい食感と香ばしい味噌が、赤ワインにだって立派に合うじゃありませんか。

「そ〜ぉ? じゃあよかった」
 またしても仕事中に飲酒してしまった私の後ろめたさに追い打ちをかけるかの如く、さらに彼女はお代わりまで持ってきてくれる。あげくは
「このピクルスも手作りなんだけど、ワインに合うって評判いいのよ」
 と隣の店の商品まで勧める始末。気がつけば彼女も、隣の店のご婦人もみんな手には赤ワイン。ニコニコ微笑むそのホッペをほんのり乙女色に染め、朝っぱらからちょっとした宴会状態である。と、そこへ

「おぉーい、山田さぁん。これ召し上がりましたぁ?」
 背後から呼ぶ声が。朝市会メンバーの一人、小澤正光さん(53)だ。
「これね、ウチの女房が作ったほうとうなんですよ」
 湯気の香る大鍋が置かれた机には"投げ銭コーナー"と書かれている。毎回いろんな料理が登場するらしいが、みんなそれをセルフサービスで好きなだけ食べてから、それぞれの判断で料金を置いていくシステムだ。

「はい、ジュースもどうぞ」
 ほうとうを盛った椀の横に小澤さんが置いていったコップには、またも赤い液体がなみなみと注がれていた。これが勝沼の流儀なんだろうか。もちろん、郷に入っては郷に従え。私はそれを一気にあおった。モチッとした手打ちの麺が、口の中で一段と旨味を増す。あぁ、たまらんね。

 しかし、煮えたほうとうをすすっている最中とはいえ、さっきからどうも暑い。見渡せば出店者もお客さんもみんな上着を脱いで、額に汗を光らせている。そりゃそうだ。後で知ったが、師走だってのにこの日は気温二十度を越えてたんだから。
 でも、朝市が暑かったのは、それだけのせいじゃない。


 何の前ぶれもなく始まったパン食い競走。突発的なイベントが起きるのも、かつぬま朝市の特色か。子供たちのはしゃぐ声が、冬の青空に響きわたる。


JA出荷ではあるが、包装には京丸園の名前が全面に大きく記されている。自分たちが作った野菜には最後まで責任を持ちたい、との思いからだ。



甲州人気質なんてウソ?

 ほろ酔い気分に浸りながら、私はあらためて会場を巡ることにした。朝お世話になった天野さんは、可愛い女のコが焼いたパンを試乗車のトランクに並べて、お洒落なコラボレートカフェを開いている。その脇には牧場直送のアイスクリーム、それから丸太を使ったベンチ、包丁研ぎ、小さな女の子がおもちゃのマシンで作るポップコーン、漬物やお惣菜、季節の花々、リサイクルの古着、手作りアクセサリーに3Dアート、豆腐に油揚げ、特産の果物をふんだんに使ったジャム……みんな思い思いの品物をただ持ち寄ってきてるだけなのかもしれないが、全くどうしてこんなにも人をワクワクさせるんだろう。さらにこの他にも、今回は残念ながら欠席だったが、はるばる沼津から干物屋さんが出張販売に来たり、地元の学校の先生が子供たちにいろんな科学現象を実演してみせる"魔女実験"のコーナーなんてのも催されたりするらしい。つまりは、何でもありの誰でも参加OKってワケなのだ。この朝市は。

「僕ら住民が勝手に始めちゃった朝市だから、不備だらけですよ」
 と高安さんは言う。でも、商工会や農業組合などの主導じゃないからこそ、自由な発想も実現しやすいという利点だってあるはずだ。

 また、会場内を歩いて気になったのだが、とにかくみんな話好きなのである。それも営業トークなんてのとはちょっと違う。たとえば、売り物のはずの惣菜のレシピをお客さんに一から教えてあげてたり、野菜を商うご婦人なんぞは自分の店を抜け出して、初出店の石材屋さんが並べた漬物石を見るや
「こういうの、横に取っ手が彫ってあった方が持ちやすいかもねぇ」

 なんて遠慮なくアドバイスしてたりするんである。もちろんさすがは勝手知ったる主婦の意見に、
「あっ、そうですよね! 次からそうしてみます。すいません」
 石材屋の若主人も謝りながら何だか嬉しそう。で、その脇ではまた別のお客さん同士が違う話題で盛り上がってたりして、そこはもう、売り手も買い手も入り乱れた大きな井戸端会議場の如き光景なんである。

 でも、これだからいいのだ。レジを通るだけのスーパーじゃわからないかもしれないが、そもそも人と人が何かを売買する時ってのは、一緒にいろんな情報も交換しあうのが当たり前だったはずである。それこそが本来の、市場が持つべき重要な役割だったに違いなかろう。『ここにしかないものを』が、かつぬま朝市のモットーらしいが、それより何より『ここにしかいない人たち』がワイワイ参加してるから、この朝市は楽しいのだ。物の本には"甲州人は心が狭く排他的。利己的で協力心に欠ける。社交下手"などと知ったように書いてあったが、そんなもん全くあてにならん。

手作りこんにゃくの盛られた竹かごは、元来この地方でぶどうの収穫用に使われていたもの。



帰りたくなるふるさとに

 朝市の出店者にはプロの職人さんもいるが、その半数以上は趣味がこうじた素人の面々である。野菜を売る農家のご婦人にしたって、生業としている作物は土地柄ぶどうや桃などの果物がほとんど。朝市で売るようになった野菜類はもともと自家用に栽培していたもので、余れば近所におすそ分けしていたらしい。

 実は高安さんも、そんなおすそ分けをもらう住民のひとりだった。とは言っても、彼は元から勝沼に住んでいたわけではない。東京の下町に生まれ育った彼は、高校卒業と同時に親戚を頼ってこの地に一人でやってきたという。そして、自動車のリサイクル部品を海外に輸出する仕事を始め、やがて家族ができると、今の朝市会場の向かいに造成された新興住宅地に引っ越した。

「でも、その頃はホントに仕事人間だったんですよ」
 そんな彼の考え方が変わったのは、仕事の関係で知り合ったアフリカ人たちの影響だったという。
「ウガンダやケニアや、みんな情勢の不安定な国の奴らで、明日になったらどうなるかもわかんないような生活してるのに、でもみんな自分の暮らす場所のことをちゃんと真剣に考えてるんですよね」

 やがて高安さんは、少しずつ地域の活動に参加するようになった。気がつけば、話す言葉もすっかり甲州訛りになっていた。農家の知り合いもずいぶん増え、収穫したばかりの作物を持ってきてくれるようになった。でも……。

 お手数をおかけして申し訳ないが、ここから先の朝市発足に至る話については「かつぬま朝市」ホームページに高安さん自身の文章で詳しく書かれているので、どうかご覧になっていただきたい。

 ただ、ここで端的に言うならば、彼は自分が移り住んだ勝沼という町を、心から愛すべき『故郷』にしたいと思ったのである。その願いをどうにか叶えようと朝市を思い立ち、まず農家の人びとに野菜を売ってもらうことから始めたのだ。そして、いざ始めてみれば多くの人びとが続々と朝市に賛同した。なぜならば、彼らの胸中もまた、ふるさとへの強い愛着に満ちていたからであろう。

「でも最初は大変でしたよ。農家の主婦の皆さんに参加してもらおうと思ってお願いに行くと、どこの旦那さんにも『ウチの奴にそんなそぼい(みっともない)ことさせられるか』なんて言われたりして」

 しかし今では、そうした農家の男性からも逆にお礼を言ってもらえるようになったと、高安さんは得意げな子供のように嬉々と話す。「『朝市に出るようになってから、ウチの奴がなんか明るくなったよ』って言ってくれるんですよ!」 

 たった一つの小さなテントからスタートしたかつぬま朝市は、高安さんや小澤さんをはじめとする六人の主要メンバーを中心に、全くの手弁当で運営されている。それぞれの出店者が利益を上げることはあっても、彼らの懐に金が入ることはまずない。赤字でも楽しければいいじゃないか。余剰金が出たらどっかに寄付しちゃおう。それが、彼らのやり方なのだ。だから、朝市に来る人はみな笑っていられるのだ。

 高安さんは、この朝市を三十年は続けたいと言った。私はそれを、次の世代に対する彼なりのメッセージだと理解する。

朝日輝くぶどうの里にはぬくてぇ心が豊かに実る



トイレの中でモゾモゾと

 太陽が頭上を通り過ぎる頃、賑やかだった朝市は無事にその幕を閉じた。帰りは高安さんが、ありがたいことに私を駅に送りがてら観光案内をしてくれると言う。そして片付けを終え、誰もいなくなった会場を去ろうとしたその時、

「ちょ、ちょっと待ってて下さい」
 彼は突然、仮設トイレの中へと駆け込んでいった。腹の具合でも悪いんだろうか? と、すぐに個室の中からゴシゴシと何かをこする音が聞こえてきた。用を足しているのではない。もちろん○○でもない。彼は、掃除をしているのだ。

「すいません、お待たせして」
 数分後、何もなかったかのように戻ってきた彼を見て、私は思った。
『かつぬま朝市にまた来たい』と。

 最後に、もう一つ心に残った光景を書いておきたい。朝市の最中に見た、ある老婆のことだ。買い物を終えた彼女は高安さんを見つけるとゆっくり歩み寄り、しわの深い顔を笑顔でさらに緩ませながら、ただでさえ曲がっている腰を何度も何度もかがめて頭を下げていた。一方、高安さんは目を細めて片方の手を老婆に添え、もう片方の手で少し恥ずかしそうに頭をポリポリ掻いていた。遠くから二人を眺めていた私には、そこにどんな会話が交わされていたのか知らない。ただ、何となく漠然と『そうか、こういうことなのか』と、その姿に妙な合点がいったのだ。

 かつぬま朝市に集う人たちの笑い顔は、まるでたわわに実ったぶどうの一粒一粒である。立ち去っていく老婆のちいさな背中も、小春日和の陽射しに包まれ、弾むように踊って見えた。

(山田 孝文)