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3月朝市の2週間前いつものように中央公民館にチラシの印刷に行った。輪転機を使えばかなり割安でスピードも速い。印刷を終えて支払いをするとき、課長さんから声をかけられた。

「どうしても朝市というと収益があるというイメージでみられる。公民館での印刷は公共性のあるものとされている。先日も直売所を運営されている方から印刷機使用の希望があったがお断りした。出来れば公民館での印刷は控えてもらいたい。」とのことだった。

私「はい承知しました」 この課長さん、この前の朝市にも他の職員の皆さんにも声をかけてくださって朝市を見に来てくれたりして私達の活動には十分理解をいただいている。ただ他の人から見ればね。やはり朝市なんつーもんは銭稼ぎに見えちゃうだろうなあ。出店者は稼げても運営者はちがうのに・・・。つらいっす。

「持ち出しの方が多いんですよ」課長さん十分理解してくれているのはわかっているけど、ちょっとだけ本音。

寒さゆえここ数回売上げも落ち気味で経費が・・・テントも買い足したいけど。さあ来月からどーしよ。
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3月の朝市10日前「かつぬま朝市を30名ほどで視察したい」という連絡をいただいた。「しっ視察??」って言ったってかつぬま朝市は・・かつぬま朝市は・・ただそれだけのものでして、ただ遊びに来てくれるのはいいんだけど、視察??

長野は松本市の中町。そこの商店街の一角で10年も朝市をやっている農家の団体と商店街の振興組合の方々。ゴメンナサイ存じ上げなかったのですがインターネットで検索したら・・。あれれ・・・こりゃこぴっとしている。なんでよりによって無名なかつぬま朝市??

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〜中町商店街さんのhpより〜
長野県松本市は400年に及ぶ城下町。
中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られました。
その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。現在の中町は民芸・工芸などの店が集まり、松本でも一種独特の町並みをつくっています。

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農産物の売れ行き不振や参加農家の老齢化など変革を迫られているというのだ。今までの視察暦をみたら「勝浦朝市」それに「上伊那のグリーンファーム」こりゃ一流どころだ。で、今回は・・・なんだか色々やりまくっているかつぬま朝市を見てみたい。ということになったらしい。

まあ確かにいろいろ欲張ってやってはいるものの。まだ始めて3年目のよちよち歩きですし。そしてかつぬま朝市も今いろいろな面で見直しを迫られていて。プレッシャーを感じちゃう。

「せっかくだから3月は気合をいれて人をもっと集めていいところを見せたい!」と出店者ミーティングで言ったら・・・。

「ここに出店すると仲間もいるし、お客さんと直接対話できるし」ひしやままあずのoさん「俺なんか客がいなけりゃ他の店ぐるぐるまわって、それが楽しいんだよ」mさん「朝市で稼ぐお金より買物で使うほうが多い、でもちゃんと出店してるでしょ」ほのぼののaさん「だからいいじゃない会長、わたしたち朝市に参加するのが楽しいんだから。そんな姿見せてあげたら」ほのぼののaさん。

そうかあ、そうだよね。主催者と店子さんたちが楽しければいいんだよなあ。「お客さんが少なくても楽しい」なんてすごいことだよなあ。かなり勇気づけられた。そうだね、ありのままのかつぬま朝市を見ていただきましょう・・。とは言ってもねえ・・・。
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今回、勝沼づくりのパークあんどワンダー活動として実施する「ちょっとよってけし」これは勝沼の菱山地区をお散歩しながら史跡や眺望を楽しみ、おまけに民家も訪問。そして夕方ミニ朝市をやっちゃおうという企画。

この企画で頼りになったのがHちゃん。何しろグリーンツーリズム(GT)のコーディネータ(だったっけ?)の資格も持っている。地元と言うこともありコース設定から地図づくり訪問先のアポまでとってくれた。さらにGTの講習会で使ったというプランニング表や基準表を持ってきてくれた。そこにはそれぞれのプログラム進行の段取りをおさえ、配置人数や企画をスムースに行うための表があった。

で、もしかしたらHちゃん、はがゆかったかもしれないけど・・。「今回はまったく最初の試みなのであえてそういったものにとらわれずにとにかくやってみよう」ということで用意していただいた表は終わったあとの報告書として全て書き込むことにした。形から入ると、やれ人が足りないだ、もっと予算が必要だという話になって前に進めないかもしれない。だからやれる人数で支度できる予算でやってみる。ど素人的だけど。

この前コンサルさんにそんな話をしたら「そうだよね。私たち企画書とか予定表つくって、その通りに準備してその通りにことが運ばないと『予定どおりやりましょ』って言っちゃうけど、それ自体が型にはめているかも」なんて言ってたし。

きっと失敗があるかもしれない、いやきっとある。朝市でもそうだったように。だけどそれを楽しみながら次回へつなげていって、ここ勝沼で実際に実現できる企画に少しずつ仕上げていければいいと思う。
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町内をある視察の案内をした。その時にゲストでいらしていた船木上次さん。観光カリスマで萌木の村の社長(村長)さん。この人と二日間行動をともにした。私完全にはまりました。ノックアウトです。

二日目朝スーパーマンもどきのtシャツを着て数字のいっぱい入ったスタジャンを着込んだ船木さん。

美人を口説くのもブスを口説くのも労力はいっしょ、だったら美人にいったほうがいい。

場を盛り上げワインで酔ってしばしおねむ、30分後目覚めと共に再び船木ワールド。

ちょっと勝てそうもない筋肉なさめの太目の十両力士ばりの裸体で旅館の布団にもぐりこみ「一日に一度は見たい」と金メダルとったときの荒川静香の演技に見入る船木さん。

「俺自身、馬鹿だから人を馬鹿にしても相手があまり気が付かない、普通の人がマジな顔して人を馬鹿にすると相手はおこる」と言いながら、視察の途中、挨拶に駆けつけた甲州市トップリーダーさんに「さあここでリーダーさんに、きっと知識も豊富でしょうから、この歴史ある建造物の説明をしていただきましょう」と痛烈ジャブ。

初対面の若輩者の私に「先生!お餅が焼けたよ」といの一番のくれた船木さん。

都会のスーパースターはスマートで格好良いほうがいい、田舎のスーパースターはイナタい不細工な顔でいい、切れすぎてもだめ、生意気でもだめ、根暗じゃだめ。

観光はその時の目玉をひとつやればいい、甲州市の場合、近代化遺産もやりましょ、武田信玄もやりましょ、○△もやりましょじゃちゃんこ鍋で何も見えてこない。

観光カリスマシンポジウムで無名の新人パネリストにすっかり食われた、私とほかのパネリストの違いは、その後その無名新人(二見町若松氏)と連絡をとったかだ。私は連絡をとった。どこへ言っても彼のことを「すげーぞ!」と吹聴した。すると彼も日本各地で「船木はすげーぞ!」と言ってくれている。

外じゃ最高と思われていても女房は俺のことを最低と思っている。

フィールドバレーコンサートは雨の日に来ると「こんなバレーコンサートに二度と来たくない」と思う。

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まだまだあります。思い出したら書き綴ります。(言えないことは除く)
四季の里の裏、重川の河川敷に公園が整備される。四季の里区に県の建設部から管理の依頼があったという。その河川敷は直接は四季の里地区には面していないが、犬などを連れての散歩コースの一角であることは間違いない。近くにはさらに綿塚の1つの組がある。

整備される予定の対岸は企業が積極的に河川敷の美化を図るというアダプト活動のようなことをやってコチラから見ても気持ちがいい。その会社からは正しく正面玄関前が河川敷ということもあり、企業の社会的貢献という観点からもこの取り組みはマイナスにはならないはずだし、メリットも大きいはずだ。そうは言ってもしっかり管理するには苦労も伴うだろうし、それを実行している姿勢はやはり素晴らしい。

さて対岸の勝沼町側、たしかに見ぐさい(見苦しい)。昔ながらの河川敷の姿といってはそれまでだが。そして驚いたことに河川敷に桃畑まである。いいのかなあ?そういえばまちづくりプロジェクトで県の土木の人たちを川歩きをしたとき整備したいような話をしてたっけ。コチラ

私はそもそもこの公園がどんな意味があるのか疑問だと思っている。別に公園を作らなくてもいいじゃないか。河川の護岸工事だけでいいのではないか。といったところである。小佐手の水上公園といい、どうも腑に落ちない。ちなみに小佐手の水上公園についてはコチラも。

こういう取り組みは嫌いじゃないんだけどいかんせん無理でしょ管理は。仮に四季の里がNPO法人にでもなって指定管理者として事業として請け負うぐらいになれば話は別だけど。

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この前、私が好きなある人が言っていた。市のあらゆる住民のための施設は住民が学習や活動をする目的であれば無料にするべきだ、と。そんなところで微々たる銭稼ぎをしてもたいしたことはない。

私もそう思う、勝沼町が甲州市になったとたん施設の使用料が設定され無料のものは有料に有料のものは値上げがされた。そうなると住民の前向きな学習意欲や活動機会を殺ぐ事も考えられる。

じゃ、お前その管理費はどこからもってくるの?って・・・私にはわかりません。でも何か無駄を省いていただければ。山の中の使われていない道路や公園を一晩中照らしまくる灯りを減らすとか・・いかがでしょうか。

1人でも多くの住民が生き甲斐を見つけたり、能力を身に付けたり、仲間を増やしたりすることは、「市としての大切なこと」の優先順位はかなり高いと思うんだけど。
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うやらましいなあああああああ
かなり、うらやましかったんで書きます。

山梨市で朝市がはじめった。昨年このグループの方が「私達何かやりたい、できればかつぬま朝市のような市をやってみたい。私達の学習会でかつぬま朝市の話をしてくれませんか」私のところにやってきた。私大喜びで学習会に行ってかつぬま朝市を始めたいきさつや苦労話をお話させていただいた。そして何かをやりたいと思っていた皆さんの背中を少しだけ「ポン」と押してきた。

そして3/12実現。朝の市。山梨市の駅前の広場で第一回を開催。大盛況。わたしも行ってきた。事前に関係者から「天気が悪かったら市の観光の担当者がテントを運んでくれる」「市も大々的に協力してくれている」など聞かされていてすごいなあ&いいなあと感じていた。

そして私が顔を出した午前9時、市長さんはじめ県会議員さんまで応援に来ていた。さらに驚いたのは市の観光課の職員が臨時観光案内所を出店して店子さんたちと一体になって頑張っていた。これがきっと協働という普通の姿なんだろうけど、かつぬま朝市のことを思うと悲しいかな・・信じられないようなうらやましい光景。

だってかつぬま朝市は自分達で情報キオスクを設置している、だってそういうの必要でしょ。観光客も増えてきたし。そして置いておくパンフレットやリーフレットは役場へ行ってお願いしてもらって、それをプリントファクトリーさんの店先でプリントファクトリーさんにお願いしてボランティアで町のPRをやってもらっていた。やがて私達も手が廻らなくなり情報キオスクは開店休業状態。

テントも市に貸してはいただいていて感謝はしておるのですが・・・方や「運んでくれる・片付けてくれる」という大サービス付。まあこれはそこまで望むつもりもないけど。ただ雨が降った朝市、朝市終了後テントをとりあえずたたんで返しに行って、翌日の昼休み仕事をぬけて仮にたたんだテント(しかも6機分)を再び広げて干して、その夜たたみに行って・・・と、とても疲れることをやっていて。

そしてこの前はチラシ印刷用の市の輪転機使用を優しく断られたし・・・。このまえもちょっと寂しいぜ、ってことあったし。勝沼の場合、地域総合局なんてもんまであるのにね。

中央集権型の合併をした山梨市は住民不在だあ、どーのこーのって悪口を言う人いるけど、この朝市への協力する姿は素晴らしい。

別に手厚い支援なんかいらないし、普通以上の応援はいらないから・・・さ

すいません愚痴でした、それでも甲州市と勝沼町は大好きですから。個人的にもこれからもどんどん協力させていただきますが・・でもちょっと張り合いないっすね。


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3月朝市が終わった次の日曜日その残務をやりながら各店子さん宅に次の朝市の申込み募集のファックスを入れていたら「もう次の朝市の準備なの?」と妻。よくまあやるわねえ、ご苦労さんだこと。といった表情で私を見た。

「これ(朝市)は俺の退職後の勤め先、年とりゃ歩いていかれる距離で何か働ければいいじゃん」
妻「だって朝市で給料なんかもらえないじゃん」
「だからもらえるようにしっかり形を作ってるんじゃん」
いつもなら、なんだこの人また馬鹿なこといってるわ、と思われるところだが今回だけはなんとなく、それでも4%ぐらい納得してくれたみたいと察した。

大きくて安定したところは退職してもちゃんと行き場があるでしょ。でも私の場合はないからね。だから自分でつくってるの。

老後のために個人年金もいいけど。これからの自分のためにの自分の居場所を地域の中でつくっておいて、さらにお小遣いが稼げればいいじゃん。地域づくりのためにボランティアでやってるなんてたまに格好つけて言っちゃうこともあるけど、本当はそこのところが私が懸命に朝市をやっているしたたかな理由のひとつかな。

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場所文化フォーラム勝沼視察でご一緒した会長の吉沢さん。この方かの有名な雑誌ぴあの取締役でコーポレート本部の本部長さん。いわゆるとっても偉いお方。

場所文化フォーラムていうのは・・・地元ではない視点で地域の価値を見いだし活性化の方策を検討する集団。吉沢さんらが発起人となって設立した団体で、景観、歴史、言葉などに注目した地域活性化を提言。今までも小田原市や宮崎県の高鍋町を視察してそのまちづくりに一役を買っている。

今回の勝沼視察には地方財政論が専門の専修大学・原田博夫教授ら16名ほどが参加し勝沼町内をものすごいハイペースで怒濤のごとく周り、大和村のひなびた旅館で静寂とワインを楽しまれた。

私はaワイナリ社長さんとm文化財カリスマさんに混ざってその案内役を努めさせていただいた。(その時のすったもんだは後日書きます)

視察後も吉沢さんは折に触れメールを下さり勝沼を含めた甲州市の活性のための惜しみないアイデアを提供して下さっている。

視察には甲州市のトップリーダーさんも駆けつけたほど。この方たちが感じたこと、この方たちが考える甲州市における活性化のしくみ。それらの提言は大変貴重なもの。十分に検討してひとつでも実現できればうれしい。ということで正規なプロセスに先駆けて公開します。

<公開のお許しは得てます>
そのレポートはこちら

その仕組みはこちら

これを読んでいる方ぜひとも意見を聞かせてください。私にはそういった声を報告する義務があるみたいなんです。だから助けてください。 メール

●ウエブマスター 平成18年3月 もくじへ
今朝の朝日新聞の地方欄にでかでかと「消防車で居酒屋」と書かれていた。南アルプス市消防団のとある部が入退団式の後消防車で居酒屋に繰り出した、ということ。部長の言い訳とすれば「もし火事があったらすぐ出動できるから」運転手は飲んでいなかったという。居酒屋の駐車場に消防車がとまっていればそりゃ目立つ、それを見た住民は何事か?と思うし、まして中で酒を飲んでいると知るや・・・そりゃね、悪いこと。

でもさ、準公務員という肩書きこそあれど、地域のために頑張ってくれる消防団。新しい団員が入って今まで頑張ってくれた団員が離れて行くそんな特別な日。少しぐらい目をつぶってあげたらどうなのかなあ。

それに、これ見よがしにあんなに紙面をとって載せる記者も記者だ。記者さんはきっと転勤で甲府支局に来ている身だからきっと地域の成り立ちなんてわかんないんだろうなあ。

彼らは火事が発生した時だけじゃなくてその予防にも一役買っているし、さまざまな災害があったって一番に狩り出される身。そりゃ消防車で居酒屋は悪いけど・・新聞沙汰なんて・・・やり手がなくなるよ。

私は別に消防団のOBじゃないけどさ、自分の住んでいる地域に貢献している人たちをもう少し暖かくみてほしい。
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以下は私がある委員に応募した時のまちづくりへの思い。落選したけどね。

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私が勝沼地域に望むまちづくりは、表層的な都市型ではなく心があるまちづくりである。そしてそのまちづくりを果たして行くためには当事者である住民が地域の課題を話し合い、まちづくりにおいて必要なものを行政と協働でつくり上げていく必要がある。

さて、甲州市は住民と行政が協働でまちづくりをする分権型の合併をした。地域自治区を置き地域協議会という組織がより住民に近い意思決定の場としてまちづくりにおいて重要な役目をはたす。いや果たさせなくてはならない。先人達から受け継いだ勝沼を勝沼らしく残していく。地域の歴史や文化を地域の人々がともに学び、誇れる地域づくりを自らが実践していく、そのような仕組みづくりが求められる。

東京出身の私はお祭りごとが好きで、学生時代に三社祭りや深川の祭りを渡り歩いた。冴えない問屋街がお祭りと言う息を吹き込まれただけで輝き、その地域の人々を別人のように活き活きさせる。いい大人が全てを忘れ神輿をかつぎ、仲間と酒を酌み交わす。祭りを語り地域を語る。そんな場面に居合わせた私は大人から子供へと受け継がれる祭りと地域を愛し、誇りに思う精神を感じたのであった。勝沼地域にもぶどう祭りという素晴らしいお祭りがある。このお祭りこそ勝沼地域の精神である。収穫を感謝し、鳥居焼きで先祖を敬い、祭りを訪れる観光客に心からのもてなし。すべては地域を愛する心に通じる。

ぶどう祭りだけではない。勝沼地域は恵まれた文化財産の宝庫である。子供たちが育ち、勝沼の地を離れようとも勝沼を想うときに多くの「地域の祭り、伝統行事、遊び場、仲間、かつぬま朝市などの行事」に誇りを感じ、やがて親となり家族で勝沼に戻ってくる。そしてそこにはいつまでも変わらない勝沼がある。

3市町村が合併した甲州市、そのスケールメリットを生かした行財政スリム化、地方交付税に依存しない自治体づくりといった健全な行政経営が求められている。反面今までは近くにあった役場が担ってきた肌理細やかな行政サービスやまちづくり活動は地域の創意工夫において、屋台骨の建て直しという大作業を行っている市に取って代わり地域自身が担っていかなくてはならないようだ。この点法人格や(原則的には)予算執行権を持たない地域がどれだけの働きをできるか疑問は残るが、いずれにしても地域に託されることは間違いないであろう。

住民自治、地域をつくるのは私達住民である。「地域でやりたいことを地域で決定できること”自己決定”」「地域の力で実現できる”自己実現”仕組みをつくること」「それらを認める良質な母体行政」「行政や他人に頼らない住民の存在」「地域ブランドは誇りに思ってもおぼれない精神」私はこれらがよりよい勝沼地域をつくる上で大切な要素であると思っている。その実現には多少時間を有するとは思うが、まずは住民自身が住民自治の必要性を再確認するところから始めるべきだと思っている。
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きっかけがきっかけだったので乗り気でもなかったんだけどマジに書いたのでちょいと悔しい。もう忘れているけど。

●ウエブマスター 平成18年4月 もくじへ
その1
今、仲間と文化研究所をつくっている。拠点もきまった。

この研究所の一番の売りは外からの応援団を積極的に引っ張り込んじゃうということ。私のお師匠さんの1人萌木の村の舩木さんがまちづくりに必要なのは「宿命的土着民」じゃなくって「選択的土着民」だ。っていってたけど。私もそう思う。

この地域に思い入れがある人。仮に地域外の人でも「思い」とか「志」があれば市民としていっしょに地域づくりに参画してもらってもいいんじゃないかと。アクションまでいかないステレオタイプはもうxxね。

いま連絡をとっている場所文化という視点で地域づくりを応援しているフォーラムの皆さんやワインづくり葡萄づくりを通して勝沼に足を運んでいる方と話をしていてビビッと来た。

「志民」・・・ 住んでいない地でも愛着を感じ、志を持って自らかかわり、労力や知力や資金を注ぎ込んでくださる皆さんそんな皆さんを積極的に招き入れて地域に住を構える人と同等の立場でこの地域をつくれないか。そしてそんな皆さんを「地域外」とか「市外」とか「外」という言葉で無く、なにかいい言葉はないのか・・・。そこでビビッときたのがこの「志民」。そう志民と市民の地域づくりだ。

場所文化フォーラムの皆さんはすでにこの域外民のカミットを地域づくりの原動力として提案されている。そこに第2住民表などを発行させ、出資に対しては地域ファンドの仕組みをつくり、配当の一部として地域通貨などを活用し当地(及び当地と契約された店など)に来て消費させる。そのためには消費に見合う魅力ある産物やサービス提供場づくりが必要で、この甲州市はそれが十分にできるポテンシャルを秘めているという。

研究所は自ら地域づくりを実践する団体として、そして以上の仕組みを研究していく受け皿として農繁期前にはオープンする。

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中央公民館から携帯に電話。「あーあ、たぶんテントの予約が入ったんだ・・育成会とかスポ少じゃ譲るしかないからなあ・・(朝市会はテントの予約を入れてあるが地元やスポ少で使うであればそちらを優先してもらっていいですよ。と伝えてある)」と思いつつ「もしもし」

4月から館長さんになったmk課長さんだった。「ホームページ見ました。印刷をお断りして申し訳なかった。ぜひ印刷にいらして下さい。お待ちしております」そういえば印刷を断れたあと、mkさんが課長就任されたことを知ったある人から「ウエブマスターmkさんなら大丈夫だから行って来れば」とは言われていた。

わかってもらえてよかった。(いきさつはコチラ)

そしたら今日、買物で市役所でvinを担当しているiさんに会った。するとどうやらこのiさん、前から私のhpを見ていてくれて気になっていたらしい。そこでmさんに「どうにかしてあげてください」と話をしてくれたというのだ。

彼らはまさしく中堅で上と下にはさまれ(私が想像するに・・)ストレスの溜まる日々を送っているとは思うけど。些細な私の呟きを覚えていてくれて助けてくれた。なぜかとてもうれしくなってしまった。
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仕事の関係でつづけて3組のお客さんをガイド気取りで町内案内した。1組目は千葉の会社の社長さんとその友人ご夫婦。4月第2の土曜日。桜は散り始め、桃が咲き始め、というちょうど狭間の時期だった。トンネルカーブやワイナリー、道すがら産物や農作業の説明や我ながらスムースに話ができた。

勝沼づくりをやっているおかげでかなりお利巧さんになっている自分にビックリした。自分が住んでいる地域をしっかりと説明できる。これって大切だし、やってみるとすごく気持ちいい。見逃してしまうような馬頭観音や道祖神をさらっと説明しちゃう。(知っているところしか見せてないんだけど)そんな市民が増えればかっちょいいね。

さてさて、残る2組はいずれも海外のお客さん。ニュージーランドからリタイヤ記念に日本に。勝沼には丸1日しかいられなかったけど大善寺の薬師如来の厨子と他仏像。歴史の重さに感動していた。私が連れて行ったのがトンネルカーブと勝沼堰堤とワイナリー。うーん簡単な説明はできるんだけどやっぱり専門的な単語を事前に仕組んでおかなかったのでちょっと苦戦。

トンネルカーブでは業者用の貯蔵ゾーンの説明でつまづいた。そういうのをbondっていうんだよ、て教えてくれた。ワイナリーではシュールリーの説明、澱(シディメント)にしばらくつけておくとアミノ酸が云々・・・うわー専門用語(ターム)を覚えておかないとね。ちょっと反省。

もう1組(1人)はアフリカのコンゴからのお客さん。彼は鳥居焼き現場を一番上までハイキングさせ、その後大滝不動尊というとっても通なところを案内してあげた。大和の勝頼公祭りにも連れて行ったら、甲州ぶどう太鼓にやたら感激していたので親分の室さんにお願いして一緒に写真をとらせてもらった。

仕事上海外のお客も多いのでバイリンガルに詳細まで説明できればカッコイイ。勝沼だけでもこれだけ見所があるので甲州市全体に広げたらさらにすごい。あと勝沼周辺に食が充実していればもっとすごい。
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棚田100選のひとつ千葉県鴨川市大山千枚田でゴールデンウイーク後半、棚田保存に共感した域外のオーナーによる田植え作業が行われた。

ここではオーナーとしての義務(100cm平方あたり3万円支払い、田んぼに入って米を作り、自然と真面目に向き合うこと)を果たすことができない人のためにもトラスト制(農地を個人に貸し出すのではなく、作業をイベント的に行い、そのかわり収穫したお米は、申込者に均等に分配するという方法)も導入し棚田の保存活動を続けている。

「会費を払えば、農作物が届く」式のオーナー制度は別として、ぶどう棚景観を守るため遊休農地が増え続ける勝沼でもこういった取り組みが実現できないのであろうか。確かに米と葡萄では勝手が違うわけだが、弱冠やんわりとしたトラスト制などを試してみたらどうだろう。

仮にやってみるとしたらこんな方法はどうだろう(後半の妄想の部分を紫色の文字に入れ替えて呼んでください)
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「あたらしく自主防災組織(自主防災会)が出来るので組単位で委員を選んでほしい」四季の里回報の中で綴っていた。どうやら最長でも5月の末までに市に委員名を知らせなければならないということで区の執行部も戸惑っている様子。

それを受けて昨晩組内が集り委員の選考にのぞんだ。

私達の意見は組長の兼任にすればよい。ということに落ち着いた。ただ懸念材料があるということだった。
1、区として組長や他の役員との兼任は避けて欲しいとの意向
2、任期は2年で四季の里の組長の任期は1年

そもそも市も総会が終わってやれやれ、のタイミングで委員を選べっていうのはどういうこと?おまけに任期は2年って、四季の里の役員の任期とずれるし。防災グッズの補助金も出すって書いてあるけど今から作られるその会はその受け皿?

確か、今までは区会自体が自主防災組織として動いていたはずなんだけど。なんで区じゃいけないんだろう。

今まで四季の里では組長をはじめとする役員の負担を極力抑える仕組みを考えてきた。特に組長は区費は集めるものの他寄付金や活動費などはすべて区費から落とす仕組みだ。

広報のお届けや緊急の配り物はあるものの各戸を廻ることはきわめて少ない。あとは月1回の役員会、年数回のイベント、掃除の段取り。十分に余裕はある。

どっちみち勤め人が多い四季の里では災害発生時に自宅にいる人は少ない。ということは普段の備えや訓練が主な活動。そして災害時には新たな組織ではなくて区が消防団員と連携してその役を担うべきではないか。四季の里のような地区では十分に区会が防災会を兼ねることができる。

分権型の合併をして自治区までつくったのだから「それぞれの区のやりやすい方法」を採用するべき。そしてこの防災会だけはしっかりと機能させなくてはならないのでなおさらだ。

四季の里の任期は2年。ここで委員になると1年ずれてしまうので他の人が委員になったほうがいい・・という話もある。でもねここは「地域自治区」そして私たちは一番住民に近い「自治会」。組織を作らない、委員を選ばない、っていっているわけじゃないんだから「自分達が一番機能しやすい会をつくるべき」で任期がずれるから、任期中名前が代わっちゃ困る、という当局の意見を鵜呑みもどうかなあ。

こういう会の概要や職務を見ていつも思うのが「形だけつくりゃいいってもんじゃないでしょ」

災害時トイレはどうしよう、どこに集ろう、これを機会にそんな議論をはじめたほうがいい。組掃除の時に、組会議の時に、区会で、他集まりで。組内から新たな委員を選べば同じジャンって?そんなの選ぶまでも「区そのもの」こそがこの問題に優先して取り組むべきものなんだから、区が自主防災会になればいい。区とは別にその組織をつくった方がいい。委員のなり手はナンボでもいる。というところは作ればいい。80数世帯、密集地の四季の里では屋上屋の組織をつくる必要はない。このへん自主性を認めてくれる寛容な行政に期待します。
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この前、あるワイナリーの社長さんと話をする機会があった。産地としての勝沼のあり方とか、いいものをつくれば必ず商売はついてくる、とかすごくいい話を聞かせていただいた。ワインの作り手というのは夢を語るといった部分では芸術家のようだ。

界隈のワイン業界ではしっかりと2世さんも育っていて素晴らしい。専門的な醸造技術を学んだり、フランスで修行をされたり。さらに皆さん本当によく働かれる。したがって醸し出されるワインのクオリティもあがりとても楽しみだ。

怒涛のごとくの文化を語るお話しをいただきながらちょっと気になることがあったので質問させていただいた。「勝沼の、勝沼の先人たちの魂を敬いながら、町民自ら心を込めて奉仕をする鳥居焼きの護摩木積みでワイン関係の方々とはあまりお会いしたことはないんですけど・・・」

「おーそうだよな」と言って話題は変わってしまった。

最近、マスコミやメディアはこぞって若手醸造家さんたちを取り上げている。彼らは本当に頑張っていると思う、だから良いことだとも思う。それに彼らはスマートでカッコイイ。ビジュアルにも十分耐えうるしその宣伝効果はワイン振興にも十分貢献している。

けど、この日本の物づくりの世界の主役たちに私があえて求めるのはメディア受けする面構えでも、涙を誘うような苦労話でもなく、もっともっと地域に根ざした「土臭さ」であるとか「土着性」だ。

地域を愛し、その愛をちゃんと見える形で行動し、(俺はやっているぞ!って人多いんだけど・・見えてこないです。すいません。)誰もが彼らを愛し、誇りとする。

農家との信頼関係も取り戻し「俺のつくった最高級の甲州でしぼってくれ!」市民から絶大なるサポートを受け「俺たちゃビールや焼酎は飲まんぞ!お前の作ったワインだけだ!だからいいものつくれ!」

輸出しなくても、世界に打って出なくても、海の向こうのアチラさんから「そんなにも愛されているお宅のワイン飲ませていただけませんか?」ってことには、、なんないんだろうかなあ。
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6月朝市のあと朝市に荷物をそのままハイエースに載せたまま、朝市にも友情出店してくれたフォーラムの皆さんを案内して、中央葡萄酒⇒丸藤葡萄酒⇒勝沼醸造へ。

各社長さん方からこだわりの話をいただいて、ちょとだけ早めに戻ってハイエースから家の中へ荷物を放り投げて交流会へ。かなり盛り上がってお開き。

侍ブルーのイレブンがマルタとワールドカップ前哨戦をやっていたけど数分見ただけで撃沈。そのままZZZzzzz・・・・。何を言っても起きなかったらしい。

と、そんな状況になると踏んでいたので有給をとっておいた。ゆっくり寝てりゃいいものを悲しい性、6時半に目が開いちゃって、そのままHPの朝市のレポートをアップ。続いて会計の処理を終わらせて朝飯。

すぐさま「にこにこ市場」と「かつぬま朝市直売所」のあいあいこんにゃくを全部買占め各所へ遅ればせながら今年度のご挨拶へ。

甲州市観光商工課へ(分庁で大和町)、馴染みの人がいなかったので簡単なご挨拶。続いて塩山駅の観光案内所へ。小出さんという方からはメールをいただいていたので会えればと、そしたら女性でした。すっかり男性かと思い込んでいた。少し話し込んで「今度いっしょになにかやりましょ」

続いて甲州市役所本庁へ。入るといきなり案内所に「ツッチィ」ありゃりゃ、今までは教育の関係で夜な夜な遅くまで頑張っていらっしゃった方。

どうも!「なんですか?今日は」。皆さんそうおっしゃる。勝沼町時代、ひどい職員はこっちの用を聞く前に「またなんか文句を言いに来たんですかあ」よほど「言いたがりイ」と思われている、というか、私がなんらかしら文句を言っているところを見るのを楽しみにしているみたいだなあ。最近は熱くなってませんから大丈夫。

「朝市の挨拶なんだけど地域づくりとか担当している部署ってどこでしょう・・・」産業もそうだし、まちづくりもそうだし、総合政策もそうだし、、、自分で探してみますということでふらふら回遊し始めると1fの福祉のところで誰かこっちを見ている。

かつて都市マスでいっしょになったoさんじゃん。すぐさま机を離れてこっちへ「どうしたんすか?」関係部署を廻りたい、と事情を話すと「とりあえず行きましょう」と秘密の通路へ地下組織KBGか?と思わせるような一室へ。そこにはステキな女性がいて朝市のチラシを受け取ってくれた。職っ組で〜す。

そこには偶然昨日朝市にいらしてくれていたリーダーさんも居合わせてご挨拶。市役所の地下も意外と明るい社交場なんだ。するとそこへMさんも登場。しばしコーヒーを飲みながら雑談。久しぶりだった。

別れて1Fを歩くとTAXデパートメントで見慣れた人発見。向かいには先日一緒に飲んだSリーダーさんも。少し歓談。

2Fへ。知っている人がいないので真向かいの女性に・・「朝市でご挨拶したいんですけど・・」と告げた。するとその女性も困った様子。ふと通った男性、見覚えあるので会釈すると「Tさんでしょ!」「日に焼けて髭生やしてるからわかんなかったよ」「どうぞ、どうぞこっちへ」市役所のトップA部長さんでした。一度ぶどう祭りでお会いしたことがある。

「HP見てるよお」あっ、いや、恐縮です。(言いたいことを書きまくっているので・・やばい・・)少しお話をした。すぐさま担当の課を紹介してくれるというので付いていくと、離れの建物。そこの課長さんを紹介してくれた。「朝市よろしくお願いします!」ここでもA部長さん「この人のHP見てみろよ」と・・・。いやあお恥ずかしい。でもありがとうございました。
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甲州市のhpの掲示板が動き出した。これちょっと危険です。住民が書き込んで住民が答える風な掲示板じゃないので行政への文句や質問などどんどん来ちゃうと思う。それを見て便乗して変なこと書き込む人もいたりして。

できれば山梨市の掲示板にようにイベント紹介とかメンバー募集といった風に限定したほうがいい。やばいよ。

それにしてもどこの行政のHPも似通ったのが多くてつまんないなあ。きっときっと高いお金を払っているんだろうなあ。そんなページの管理会社に。他にもSEと称して行政マンと同じようにネクタイして役所にいる人いるけど・・・きっといい稼ぎしてるよ。
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塩山の駅の改札を出たところに可愛く設置された観光案内所。かつぬま朝市のポスターも貼っていただいた。ありがとうございました。

でもなあよくよく考えたら・・塩山の駅降りてもかつぬま朝市の会場までの足はタクシーだけ。第一日曜日だけ特別便運行なんてことはありえなーい、でしょうね。
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夕張といえばメロン。勝沼といえばぶどう。甲州といえば信玄餅??

ブランドだけじゃ食べて行かれないんですね。明治から炭鉱の町として栄えた。ただその一方で数十年の周期で炭鉱のガスによる災害で多くの犠牲者を出し続けてきた。そこには何か地球の体内から鉱物を享受するためのある意味捧げ物のような・・自然と人間との駆け引きのような強いものを感じる。

昭和の後期にも相次ぐ構内火災に見舞われ、やがて炭鉱は閉山。(といっても最近まで稼動してたけど)そして夕張キングメロン(夕張メロン)の登場。

じゃーん
http://www.yubari-wv.com/view/sekitan/index.html
ボウケンジャーショーもあるよ。スキー場もあるよ。夕張メロン城なんつーのもあるよ。
今朝繋がった夕張市のhpは不通になっちゃった。

ちなみにヤフーでリンクが貼ってあった、同じ炭鉱で栄えた赤池町の再建の様子はコチラ
http://www.tokachi.co.jp/kachi/02mati/1.html

他人事じゃないよーな。手始めはカーブドカツヌマ。
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市の食育推進会議なるものに出席。委嘱も受けてきた。

甲州市の健康促進課の方から電話をいただいて食育推進会議の委員さんになってほしいという。どうやら国の食育基本法を受けて各市町村でも食育計画を策定し推進していくらしい。特に塩山地区ではすでに食育推進検討会にて食育推進マニュアル「塩山式手ばかり(手が身長と比例して大きくなることを利用して自分の手をものさしにして適正な食物の量をはかり、食育に活用)」なるものが作成され注目を集めているという。

で、なんで私なのかと聞くと。朝市の運営に携わっているということで食に関する考えを計画に反映させていきたい。また数名から私を推す人がいる」というのだ。ぶちこわしになるかもしれないのに勇気がある担当者さんだ。まあ朝市の宣伝にもなるのでいいかなと思ったけど問題は開催時間。聞くとやはり会議は昼間だという。とくに初回は委嘱式もあるので午後1時30分。第一回に集った時に皆さんの総意で夜の会議にしていきたい。との話だった。

まあいいやその日ならちょうどsteve(海外の来客者)も帰ったあとで海外出張の数日前。有給をつかって午後から仕事を休んで出席した。25名の委員。勝沼からは所属団体を代表してとあるワイナリーさんの専務、とあるカフェのマスターなどがいらしていた。委嘱式のあと第一回目の推進会議。説明では任期は2年、18年度中に計画を策定、今日を含めて3回の会議、行政内にも推進会議を設けるなどなど。チャートも描いてあって行政とこの会議の間柄を説明。

ん?でもこの図には、この会議が食育計画の諮問を受けて答申することになっている。おまけに役目として策定もするとなっているし、しかも推進もすることになっている。しかも3回の会議だけで。2年任期で最初の1年は策定にかかわり、諮問を受けて答申書もだすの?そして次のとしは推進する委員になるの?

黙っていようと思ったけど控えめに「どういうことでしょ?」と質問したら、鋭いご指摘で、と変に褒められて「まあまあまあ・・そこのところよろしく」という回答であった。もう甲州市ったら乱暴者なんだからぁ。

現在の状況とか流れを栄養士さんから説明を受けたけどわかりやすかったし、野菜や魚を食べさせるというだけの話ではなくて、野菜を実際に作らせて興味を持たせようみたいな話にもなって、食育=生活ということ。今まで居心地悪かったけどそこまで広げるんだったら私が居ても大丈夫だ。だって栄養価がどうのこうのカロリーがどうのこうのの話だけじゃついていけないし。この栄養士さんしっかり勉強しているし素晴らしい。この人がいれば計画づくりは大丈夫でしょう。

次回の会議の日程を組む時に日の都合を出席者に聞いてきた。私が「それは夜ですか?」と聞くと・・皆に諮ってくれた。驚いたことに昼間の方いいという人が多かった。さすがだ甲州市。皆さん職務の一環でいらしているのか・・私はごめんなさい・・・・です。

帰りしな知っている事務局のsさんに「この会議ちゃんと回を重ねれば面白いよ、皆乗ってくるよ」と。そうすれば推進もスムースにいくのに・・惜しいよね。あと2回で検討、策定、審議、諮問答申をこなしてしまうなんて素晴らしい。
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甲州市掲示板奮闘中!
いやあ、頑張ってるなあ職員さんが一所懸命答えてくれてる。旧勝沼町時代からも含めて久しくこういうの見たこと無かったからなあ。この「がんばれ勝沼」に危険ですなんて書いちゃってごめんなさい。

ただただ続けてほしいと思う。逃げないでね。でも投稿する方のモラルもあるからうまく対処してもらいたい。しっかり応対すれば応援団になるはずだから。住民を巻き込んだコミニティの場になればいいね。

ただもし危険で挑発するような書き込みがあったときはいきなり消すんじゃなくって、それをやさしくとがめる様な書き込みを誰かサクラさん(庁内でしくんでおいてもいいから)をつくっておいて自浄させるのがいい。さらに後方支援部隊もつくっておけばいい。

リスクを背負って頑張っているのだから、データーをカテゴリー別にわけておいていつでも引き出せるデーターベースをつくったらどうだろう。関連

よく市役所で見かけるシステムを面倒見てくれているSEの人たちが暇なときにサービスでやってくれてもいい。
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